魔法野菜キャビッチ3・キャビッチと伝説の魔女 51

 それから私は、両手のなかにハピアンフェルを大切にもったまま、ものも言わず鬼魔たちに背をむけて丸太の家へ帰った。

 うしろでユエホワやケイマンやサイリュウや(たぶん)ルーロが私の名前――みじかい方の――を呼んだけれど、ふりむきもしなかった。

「もうポピーとは呼ばないで」とちゃんといい渡したわけだから、返事しなくてもいいと思って返事もしなかった。

 ハピアンフェルは私の手のなかでふわ、ふわ、とゆるやかに上下に飛んでいたけど、なにもいわなかった。

「お帰り」祖母はそういって迎えてくれて、ほんの一瞬眉をもちあげて私を見たけど、やっぱりなにもいわずにいた――いや、すぐにそのあと「もうすぐクッキーが焼けるところよ」といった。

「うん」私はうなずいたけど、祖母の顔を見ることができなかった。リビングのテーブルの上で両手をひらき、ハピアンフェルをときはなってから、ぱたぱたと自分用の寝室へ向かう。

 ベッドの上にぼすん、と座りこんで、あれこれ考える。

 たぶん、ハピアンフェルが森で見たことを祖母に報告するんだろう。

 祖母はなんというだろうか。

 なんとなく、予想はつく。

 ようするに、私がもっと大人になりなさいというようなことをいわれるんだろう。

 人間は鬼魔よりも賢いんだから、とか。

 ユエホワがお気に入りのきれいな(祖母から見た場合の話だ)鬼魔だから、傷つけちゃだめ、とか。

 私がもっとがんばって、さっさとピトゥイを使えるようになればいいだけだ、とか。

 でも、どうやってがんばったらいいのかは、自分で考えなさい、とか。

「ポピー、お茶が入ったわよ」祖母が呼ぶ。

 私は五秒ぐらいたってから「はーい」と返事をした。

 立ち上がる。

 こんなときは、甘いクッキーとお茶をいただいて、頭を休めてあげたほうがいい。考えるのをいったんやめて。

 今日のクッキーは、プィプリプ入りのとミイノモイオレンジ入りの二種類だった。焼きたてで、まだあったかい。

 鬼魔たちは戻ってきていなかった。

「けんかしたの? ユエホワたちと」祖母はさっそく、きいてきた。

「けんかっていうか」私はクッキーをもぐもぐ食べながら口をとがらせた。「変な名前で呼ぶから」

「変な名前? どんな名前?」祖母がまたきいたけれど、その目を見るとあきらかに、おもしろがっているのがわかった。

 私は肩をすくめながら「ポピーザップとか、ポピーダグヴィグとか、ポピーポイズンとか」と教えた。

 祖母は、「ポピーザップ」で片手で口をおさえ、「ポピーダグヴィグ」で両手で口をおさえ、「ポピーポイズン」でうつむき肩をふるわせた。

「もう」私はほっぺたをふくらませた。「おかしくない」文句をいう。

「そうね」祖母はまじめな顔をあげて言ったけど、すばやく目じりの涙を指でぬぐっていた。「彼らには、私からいっておくわ。ポピーをからかうようなことはいわないでって。私がいえばあの子たちも反省してくれるでしょう」

 まあ、たしかに。あいつらも、まだ本気でキャビッチの餌食にはなりたくないだろうし。

 そもそも、いくら祖母のお気に入りの鬼魔とその友だちだからって、伝説のキャビッチ使いという、鬼魔にとっては最大の“敵”の家に、泊りがけで訪問するということ自体、あいつらにとっては“命がけ”の行動なんだろうし。

 私なんかは、もう二度と鬼魔界へなんか足を踏み入れたくないと思っているのに。

 それを思うと、あいつらの勇気ある行動にたいして、もう少しだけ、敬意を表してやったほうがいいのかな……

「ぷっ」とつぜん祖母が吹き出した。「ふふふふふ、ポピーダグヴィグ、うふふふふ」両手で口をおさえる。「おほほほほ」ついにがまんできず、天井を向いて大笑いする。「おかしい」

 私はただもういちど、ほっぺたを最大級にふくらませた。

 いったい、どっちの味方なの? おばあちゃんは!

「私も、もう彼のことを『ユエホワソイティ』とは、呼ばないようにするわ」ハピアンフェルが、小さな声でそういった。

「まあ、ハピアンフェル」祖母がおどろいたように目をまるくして妖精を見た。「そんなつもりでいったわけではないのよ」

「ううん、そうではないの、ガーベランティ」ハピアンフェルは、ツィックルの葉っぱの上でふわりと飛び上がりながら、微笑んでいる声でいった。「もちろん私は彼をからかうつもりなんてまったくなかったし、心の底から彼にふさわしい、すてきな名前だと思ってそう呼んでいたのだけれど、それは私が勝手にそう思っていただけで、彼――ユエホワにとっても同じだなんてこと、決してありはしないのよね……そんなかんたんなことに気づかないなんて、私どうかしてたわ」

「ハピアンフェル」祖母は小さく首をかしげた。「私も、ユエホワソイティはすてきなながい名前だと思っていたのよ」 

「あたしも思ってた」私もうなずいた。呼ばれる当人はちっともすてきじゃないけど。

「でも彼はよろこばなかった」ハピアンフェルは首をふった。「私はきちんと、彼の気持ちを受け止めないといけないわ」

 三人は、少しのあいだだまっていた。

「お茶をいただきましょう」祖母がしばらくしてそういうまでは。

 鬼魔たちが帰ってきたのは、ディナーの少し前ごろ、日がすっかり沈んでしまったあとだった。

 私たちはとくに言葉をかわすこともなく、また祖母もハピアンフェルも、ディナーのあいだ彼らにお説教したり私たちに仲直りをさせようとしたりすることもなく、しずかに時間はすぎていった。

 そして皆、注意深く、だれの名前も口にしないようにしていた。

 ながい名前はかならず誰かを傷つけることになるし、ながくない名前でもそれを呼ぶと誰かが自分の意志と関係なくわけのわからない行動をとってしまうことになるからだ。

 私が、呪いを解けるようになるまで。

 でも、そんな日がくることは、いまの私にはまったく予想もつかなかった。

「そういえば、今日はクロルリンクムーンだったわね」ディナーの後、お茶を入れながら祖母がふといった。「みんなあたたかい恰好をして、テラスでお茶をいただきましょうか」

「クロルリンクムーン?」私はその言葉をはじめて聞いたので、ティーカップを出しながらたずねた。「月のこと?」

「そう」祖母はうなずいた。「私たち菜園界の月が満月になるときには、毎月ちがう名前がついているの」祖母が説明する。「今月の満月は、クロルリンクムーンという名前がつけられているのよ」

「クロルリンクって、あのお店のクロルリンクの?」私はフレッシュミルクを小さなピッチャーに移しかえながら、またきいた。

「ええ、そう」祖母はにっこりとうなずいた。「昔のことばで“遠くにいる大切な友達との絆”という意味なのよ」

「へえ」私は目をまるく見ひらいた。はじめて知ったことだった。

 きれいなひびきの名前だな、ぐらいにしか思っていなかった「クロルリンク」に、そんな深い意味があったんだ……

 それから私たちは皆、コートやストールをそれぞれはおって、テラスに出て夜空にうかぶ月を見あげた。

 本当に、心が洗われるほど美しい満月だった。

 クロルリンク、ムーン。

 遠くにいる、大切な友達――

 ヨンベはこの言葉を、知っているのかな。

 月のまばゆさに目を細めながら、私は思った。

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