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それが何か問題でも?

今年最後の投稿はやはり来年へ向けて


自分本位にしか生きられない自覚がある私も、自分に自信がある訳じゃない

世間の常識は移ろうものと捉えているが、それに抗うほど強気じゃない

同調意識は低いけれど、奇人扱いされるのは抵抗がある

自分の考えている事を誰かに認めてほしい、共感してほしい

盲目的に視野が狭くなっていたら、正しい方向を示してほしい、視野を広げる機会を与えてほしい

こんな気持ちになるのも、他人に依存して責任逃れして生きてきたから


自分のやりたい事は一人でやるのは抵抗ない、むしろ感性の合わない他人とやりたくない

高校生の時、まだ映画の日が数か月に1日しかなくお金はないけれど大好きな映画を映画館で鑑賞したかった私は、ロードショーの時間を調べて、学校をサボって1日で1人で3か所はしごした(その頃は当然シネコンなんて無い)

女子高生が平日に1人で黒澤明監督の「乱」を鑑賞して、次のウディ・アレン監督の「カメレオンマン」が上映している映画館に走る姿はなかなかカオスだったと思う(2本立て2か所と1本立て1か所の計5本鑑賞)

映画も美術館も買い物も他人とベッタリ行動するのは苦手

一緒にそこまで行くのはいいけれど、入ったら自分のペースで行動したいから別行動してほしいし、自分の世界観を壊されたくないから感想はそれぞれ自分の中で浸っていればいいと思っている


それくらい自分の好き嫌いがはっきりしているのに、理不尽だったり明らかにおかしい物事はおかしいと言えるのに、そうでもない事柄への対応がおそまつ

ちょっと気になる、とか、何となく好き、とかの感情や

可もなく不可もない事柄を総合的に判断する、とか、合理的な方法を導き出す、とか

生活の中には、はっきりしなくて選択肢が複数ある事柄が溢れているのに

そんな事柄に対して都度しっかり向き合って自分なりの結論を出して来なかった私が、自信なんて持てるはずもなく

途端に不安感に苛まれる、誰かに答えを出してほしいと思ってしまう

自分なりの決断をしたり、答えを導き出したり、雑音をはねのけて信念を貫くような自分自身の経験の蓄積が、余りにも無い

自己顕示欲がバリバリでありながら、悪目立ちはしたくないと思ってしまう

他人へ自らの行動言動が影響するのが、怖いと思ってしまう

迷った時の他人任せの判断で行動した結果ほど、後々後悔するのに

我ながらいびつな思考


だから来年は迷った時に丁寧に自分の気持ちに向き合って、都度考えて自分なりの結論を出すようにしたい

自分の行動に、その答えに都度いったん立ち止まって自分自身に問いていきたい


「それが何か問題でも?」と言えるくらいの自分になるために





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