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できる・できないのボーダーはどこ?

久々にループに入ったので、想いをまとめてみました。

障害への想い

生まれつき病気のために目の悪い私は、いつか見えなくなると思いながら生きている。
一番みえていたのは高校生で0.4、40代の今は0.02です。

視力の他に視野が狭くなることや視界が’砂嵐みたいにチカチカしたり、ぼやけたりなど色々な変化があります。

目が良くなりたいと思ったことは一度もありません。
ただ、両眼が見えたらどう見えるのか体験してみたくて、子供の頃に母に聞いてみた事がある。
「みんな同じだよ」という答えが返ってきたけれど、そんなはずないでしょうと思ったの。
母は答えに困っただろうし、傷つけない配慮をして答えてくれたのだと思って、それ以上は何も言わなかった。

特に10代の頃、外見のコンプレックスがあった時期は、ちょっとした相手の言動や仕草に傷ついたこともありました。
多くの人には「黒目は正面を向いているもの」という無意識の固定概念があるので、視線が合わない事を周囲がどう思うかはわからないけれど、今は気にしないようにしています。
だって、黒目を正面にしたら私は見えないんだもーん 笑
私の視線の先を気にする人には、「病気のせいで視線が合わないんですよ」と伝えることもまれにありますよ。
「そっちにお化けはいないよ」と付け加えて笑いをとりたいところですが、たいていは初対面なので、笑いはとれないのが残念です。 笑

また見えにくくなったかな

最近、視野が狭くなってきたのか見えにくさが増していると感じます。
見えにくくなることは、病気のせいと受け止めていて不安はないけれど、文字認識ができる範囲がだんだん狭くなっています。
スムーズに仕事が進まないことや、視界のチカチカがすごく煩わしいくて、目が疲れるというストレスがあります。

病気があると、こういった精神的なストレスにさらされることがたびたびあります。
病院に行っても治療はできないから、病院に行くことに虚しさを感じることもよくあります。
受診の時に先生がやれることがなくて申し訳なさそうな空気になるなので、「よくなることは期待してないですし、剥離がなくてよかったです。ニコニコ」と先生を励まして帰ってくることもありますよ。

ボーダーラインはどこ?

見え方の変化で、仕事内容の見直しをしないといけないかなぁと考えているところでもあります。
自分のできることのボーダーラインをどこで引くかいつも悩みます。
たとえば、
新聞見出しの文字が見えるから、文字を大きくすればその仕事が「できる」とするのか
大きくしても見ること自体が負担になるから「できない」とするのか
というボーダーライン。

負担がかかるというのも、甘えになってしまっていないか、本当に無理なのかの見極めもなかなか難しい。

だからといって、見る事を補うエネルギーを120%、200%使って仕事をすることが良いことなのか。

そんな自問自答のループにたまに入る。数日ループに入ってぐるぐる考えて、文字が認識できるうちは無理でもどうにかしてやっていくんだろうな。


無理をしてるかどうかのように、自分にしかわからない部分のボーダーラインを決めるのは、とっても難しくて苦手だなぁ。

今日もお読みくださり、ありがとうございます。

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#視覚障害
#ボーダーライン
#自問自答

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