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他人の行動を見てイライラしてしまうなら、自分を見て褒めよう

人を介して感染するウイルスが世界中を蔓延している。人と人が近づくことで感染することもわかっているから、自分だけではなく他の人の行動にも敏感になってしまう人も多いだろう。

そうすると「なんで今の時期のこんなことをしているの?」と、誰かの行動について疑問を持ったり、いらだったり、叩いたり、叩かれてほしいと思ったり、私の心の中を含めて、たくさんの人の心の中にイライラとした感情が渦巻いているように思う。

「こんなに私はやっているのに」「こんなに我慢しているのに」

自分の努力が無駄になってしまうような、というか自分のやっていることが正しいはずなのに、そうではない人がいることが怖い。行動を制限するのは自分を守ることにもなるけど、誰かを守ることにもなって、そんな思いやりを踏みにじられたような切ない気持ちが、怒りになってしまうのかなと思う。


とある脳科学者の先生が、現状について「ルールを逸脱して得をする人がいると困るから叩く」みたいなことをおっしゃっていた。なるほどなと思った。

そしてルールは段々厳しくなっていく。「収束したら」と言う人もいるけれど、私はものすごく遠い先のように感じていて、もっと厳しくなると思っている。欧米諸国のように、毎日三桁の死者が出るのではないかと思っている。このままだと。だから、都市封鎖や罰則を伴う外出禁止だってあり得ると思う。

ルールが厳しくなるのは衛生上の問題も大いにあるけど、精神的な要因も大きいのではないかと思ったりもする。


今のところ、私たちに課せられているルールは、手を洗うだけ、人と距離をあけるだけ、家にいるだけ、ってすごくシンプルなこと。でも、本当に効果的なのかがわかりづらい。だって目に見えないから。だからやらない人はやらない。とっても簡単なことなのに。

でも、人と近づきたいし、ずっと家にいるだけじゃなくてでかけたいし、そういう当たり前の日常がある。そんな当たり前をねじ曲げているわけだから、続けているとつらい。しんどい。簡単なように見えて簡単じゃないからこそ、やらない人もいる。

「こんなに簡単なことなのに、どうしてやってくれないんだろう」という気持ちと、「こんなに苦しいことなのに、なぜ私だけが我慢しなければならないんだろう」という気持ちと、相反するようで一致している感情が渦巻いて、マイナスな気持ちを増長させているのかななんて思ったりもする。

同時に事態が良くならないことに、無力感を抱いてしまうのも、他人を叩きたくなる理由なのかなとも思う。成果が見えないと、成果を阻害している要因、つまりは行動を守ってくれない人を責めたくなるし排除したくなるんじゃないかと。

資金や物資の援助をしたり、素晴らしいアイディアを出して、助けている人を見ると、自分なんて何もできてないんじゃないか、と思ってしまう。「自分にできることはないか」と行動を制限しているはずなのに、それをぶち壊す人がいるような、踏みにじられているような気持ち。


そんな風に他人を見てイライラしてしまう人に言いたいのは、まずあなたはすごく頑張っているし、本当に素晴らしいんだよってこと。

簡単なことでも続けるのは大変なのに、それができていてえらい。怒りを感じるほどにできていない人が多いのに、できていてすごい。あなたのおかげで助かっている人もたくさんいるし、救われている命もたくさんある。


他人を見るより、自分を見てほしい。そんな素晴らしいあなたが、あなたのことに時間を使えないのはもったいない。

自分を見て、「すごいね!」って褒めよう。「これが当たり前」と思っていると、我慢しているあなた自身もも付かれてしまう。だから「こんなに耐えられるなんてすごい!えらい!」って褒めよう。これは過大評価じゃなくて、正当な評価だから。

同じようにできている人にも「ありがとう」「えらいよ!」って伝えよう。


そして、自分がすべきことをする。とあるウイルスの専門家の方が、今やっていることはやりがいなどではなくて、やるべきことを淡々とやるだけだとおっしゃっていた。

私たちも同じで、今すべきこと、やるべきことをやっていけばいい。自分のことに集中していれば、心が疲れてしまうこともない。

義務ばかりじゃなくて、自分を大切にすることだって大事。限られた中でも自分が楽しめることをする。心も体も自分を大切にして、人生を歩めるのはそれからだ。

ウイルス自身が動くのではなく、私たち人間を介するから、責任が人間に大きくあるという意見もわかる。でも、私たちが闘うのはウイルスだけで良いと思います。

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