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フラットなグレー

白か黒かはっきりさせたい、aoikaraです。

0か100ともいう。100にならなければ、いっそのこと0でもいいや、という境地になってしまうこともしばしば。

グレーでもいいじゃん、70でもいいじゃん、というのは頭ではわかっている。それでも受け入れ難いと感じてしまう。


だけど、フラットに「それはグレーだね」と伝えてくれる人がいた。

私がすごく緊張していたことがあって、実際に取り組む前から怖がっていた。「緊張していたけどやってみたらよかった!」となるか、逆に「やっぱり嫌だった!」となるだろうと考えて、緊張でそわそわしていた。結果、「すごくよかったというほどでもないけど、すごく嫌だったというほどでもない。良くも悪くもなかった」という、なんともふんわりとした感想を抱いた。

自分では気負っていた分、拍子抜けしたようなむずがゆいような気持ちで、白か黒かはっきりしていない感覚があってもやもやとしていた。でも、とある人に話すと、「やってみて、すごくよかったというほどでもないけど、すごく嫌だったというほどでもなく、良くも悪くもなかった、ってことだね」と言われた。私が言ったそのまま、それが結論だと。

ああ、たしかにそうだ、と思った。これは白でも黒でもなくグレーだけども、紛れもなく自分がたどり着いた結論なんだと。


同じような経験がまたあった。自分の体のことが心配で、それでも自分が続けてきた行動を見ればよくなっているはずで、よくなっていてほしいと思うけど、よくなっていないかもしれない不安もあった。

もうすぐ結果がわかるけど、それもまたそわそわとしていた。そのときにも同じ人から「あなたが続けてきた行動は正しいから、もし結果が伴わないとしても、原因はそこじゃないってことだよ」と言われてはっとした。

原因や理由があって結果があるけど、必ずしも自分がやっていることが原因や理由ではないかもしれない。これもまた白でも黒でもないグレーのような導きだった。


かといって、その人から怪しい壺を買っているとか、利害関係があるわけでも、毎日欠かさず連絡を取り合っているみたいな関係性でもないので、のめり込んでしまっているわけではないから安心してほしい。

とにかく言いたいのは、フラットにグレーだと伝えられると、案外納得するものなのかも、という気づき。グレーをグレーのままで受け止めるのって大事なのかも。

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