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書いてみている

書いてみている、aoikaraです。

noteの更新が月に1回ほどになっていて、月刊誌のようになっている。レア感と文章力は比例していない。むしろ書く頻度が落ちれば文章力は落ちていくだろう。

と、書きながら、書いている手が止まってしまっている。

自分の中でいろいろと考える性格なのは未だに変わっていない。考えすぎて眠れなくなることもある。だけど、アウトプットしなくても、自分の中で消化できるようになりつつある。

眠れない日があっても、たぶん次の日には眠れる。眠れば、だいたいのことは忘れて、翌日すべきことを優先している。考えて、自分を動かす作業の中に“書く”ことがほぼなくなってしまった。

書かなくても行動できるようになったのは良いことでもあるだろう。でも、寂しさもある。書くことを渇望するような感情が湧いてこないのは寂しい。書くことだけが、自分の人生だとも思っていたから。

一方で、たとえ自分の周りから誰もいなくなろうとも、書くことで自分を救うことができると知っている自分もいるから、安心して自分らしくいられるという拠り所でもある。


日記のように、最近の私の話でも書こうか。なんだかとても健康的に過ごしている。ずっと悩まされていた食事のことも、安定している。自分自身に対する見方も変わりつつある。状態が良い。いつ悪くなるのか、不安もある。でも、きっとまた同じように、誰かの手を借りつつも、結局は自分自身で立ち上がり、歩いて行くだけだ。

また、書きたいと思うことがあれば書きたい。書きたいと思う機会に出会いたい。自分の心の中だけで考えていて、それを別に誰にも見せなくてもいいとは思いつつも、書きたいと思えたらそんなに幸せなことはないのだから。


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