さっくりと終えたカンボジア旅行。 コンシェルジュのジョーさんはもちろん、周りの人も好奇な目で見てきた。 そんなのも、一生に一度会う人ならば大して気にならないものだった。 実際問題、英語は話せなくても満足できる旅行だった。 でも、一人よりも二人の方が絶対楽しい旅だった。食事も……、途中食べられない日はあったけど楽しかった! 空港から一緒に途中まで帰って、重たいスーツケースを持ったまま飲みに行った。大した日数行っていないのに「日本食が恋しいから、寿司食べたいよね!」なんて
タイ経由で訪れたシャムリアップ。 一人旅では安宿やドミトリーだったので、5星ホテルに震えた。19歳には刺激的すぎるホテルだった。(とはいえ、物価もお安いし当時で一泊1万円程度だったと思う) ホテルは低層、すべての部屋から庭が見え、美しかった。当時好きだった辻仁成の「サヨナライツカ(黄金の寝室)」のマンダリンオリエンタルみたいだとはしゃぎ、涙が出たのを覚えている。 おっさんは「ほほぉ」しか言わなかった。 毎日遺跡巡りをした。朝5時にロビーに集合し、何時間もかけて遺跡に
おっさんとの旅行へ行く日、私たちは日暮里で待ち合わせた。 今回は他の旅行客も一緒のパッケージツアーにした。二人きりよりは安心だし、おっさんはパッケージツアー以外行ったことがなかったから選択肢がなかった。 ツアー代はおっさんが払ってくれた。一人15万くらいだった。 日暮里の駅構内にあるパン屋で朝食をとった。朝食も、そこからのスカイライナーのチケットも払ってくれた。港区おじさんなら当然のエスコートでも、おっさんにとっては精一杯なことだった。むしろ、港区おじさんなら家まで迎えに
おっさんとの旅行の前に、私がなぜそこまで思い切ったのか……。考えて、当時の手帳を見たら、高校時代からの彼氏と別れた直後におっさんと出会っていた。 その彼氏とは二年ほど付き合っていたと思う。 今も変わらないけれど、私はそんなに依存心も高くなく、周りが彼氏がいるから〜と焦るタイプでもなかった。だからこそ、ちゃんと自分に取って必要な人かどうか考えて付き合った彼氏だった。 彼氏は3つ年上の元美容師で、今はバーテンとバンドを掛け持ちしているフリーターだった。 私は人生で初めて付
おっさんと出会い、次の日に二人でカンボジア旅行を申し込んだ。 「頭がおかしいんじゃないの?」 そう言われても仕方ない。その言葉は聞き飽きるほど言われてきた。 それでも私は自分の直感を信じて出会った人は間違えたことは(ほぼ)ない、良い嗅覚をしていると自負していた。 旅行までの間、2ヶ月ほどはメールなどで連絡を取り合った。多分一回くらい食事に行ったと思う。 当時私はチビの大食いで、一人暮らしの食費を稼ぐことで必死だった。だからおっさんがご飯に誘ってくれるだけで、ありがたか
私は大学1年生、季節は冬だった。 少しづつ東京の生活にも慣れて、お金がなかったら日払いのガールズバーで稼ぐなどの術も覚えていた。 だからその日も駅前のスナックで日払いができると働きに出た。 そこで出会ったのが、その店の常連のおっさんだった。 おっさんは独身で、お母さんを亡くしたばかりだった。それまで介護に忙しく旅行に行けなかったから旅行に行きたい、カンボジアに行ってみたいと話していた。あ、でも友達と休みが合わないともぼやいていた。 私はバックパッカーで旅行は大好き。激
『パパ活』 なんともポップでキャッチーなこのワードは2018年のインスタグラマー女子の闇に迫るワードだ。もっとも、側から見たら「援助交際」との違いがわからないとの意見を持つが、言葉の意味なんて受け取る側が決めるもの。明確な定義など存在しない。 何故ならば、私は10年以上前からパパ活をしていたのだから。 もちろんその頃には「パパ活」なんて、程のいい言葉はなく、そのおっさんと会うたびに好奇な目で見られていた。 そんな好奇な目に見つめられながら過ごした10年間の軌跡、そしてそこ