20190811

先日うら若い娘である友人と卓を交えてお茶をしていた際に、彼女の家のハムスターが死んだという話になった。

そのハムスターは彼女の父(すでに彼女の母と離婚し別居している)が、こどもがよろこぶと思ったのか、あるとき彼女の家に置いていったのをこれまで飼っていたが、夏の暑さかたんに寿命か、亡くなったのだそうだ。

「勝手だよね」

というような事を言う彼女の表情をみながら、しかしわたしの家にはかつて同じような経緯を経て鶏が一羽、いたのである。

ハムスターは、住宅街のアパートにぽいと置いていかれてもまぁ飼うのに支障は無かろうが、鶏ではそうはいかないと誰にだってわかるだろうし、実際支障はあった。人間がまだ寝静まっている朝の四時だか五時だかに、ほらほら一日がはじまるよと時を告げる(つん裂く、が正しい)鳴き声をあげるからだ。コケコッコー、なのである。

その雌鶏は、当時のわたしの母の恋人が、まだひよこで手のひらに収まるサイズなのをい、いことに、わざわざ九州から羽田まで、コートのポケットに入れて飛行機の搭乗検査のX線を潜り抜けやって来た。20年前の搭乗検査、ザルすぎるだろ。

母もわたしも妹も、誰も鶏が欲しいなどということを思いつくような人間ではなかったはずなので、鳥達はただただその男のなんらかの(子供が喜ぶだろうとか)思いつきによって運ばれてきてしまったのだ。男は九州に住んでいるので、置いたら育てるわけでもない。近所には訳の分からない部屋だと思われていただろう(女だけの母子家庭には都合が良かったのかもしれないが)。その上この男、雌鶏がかなり長く生きて死んだ後に、また同じ手法で今度は鶉を三匹置いていっている。これが勝手じゃあなくてなんだと言うのだ。

鶏も、鶉も、狭いアパートのベランダに置いた小屋の中で、気が向くと卵を産んだ。私たちも見つけたら収集して普通に食べていた。収集する時によく手を突かれて痛かった。

晴れた日にはたまに空き地に持って行って放牧させると青草を啄ばんでいた。

のどかな話のようだが、これは20年前とはいえ都内まで30分以内の千葉県某所の住宅街でのことである。

わたしの思い出はこのようにして何かが少しづつ、ずれているような気がしてならない。



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