20190830

今更感もありつつ、

2018年の3月末で、私は大好きだった仕事を退職した。退職する半年以上前から鬱病を罹患し、毎日の希死念慮に襲われ、年度末までなんとか死なずに持ち堪えての退職だった。それでも、当該の仕事は、これまでフリーター歴が長くなりながrた就いたどの職務より、もっとも楽しくやりがいのある仕事だった。

私の担当していた生徒はバイタリティに溢れる、それぞれに異なる苦しみを抱えた、難しい環境に置かれている子供達だった。不登校歴は当たり前で、両親揃ってないのなんて誰も何とも思わないし、様々な障害、虐待、自殺未遂、軽犯罪、共依存、引きこもり、家庭内暴力、ボーダー、一時保護、リストカットで血まみれの腕、生活保護、若すぎる親、モンスターペアレンツ、精神科入院…、それらを背景にもちつつ、日々の学校生活や、進学、就職など、社会に出て行く準備もしなくてはならない。そんな子供達が、いつも、「アサさん」と笑いながら、もしくは号泣しながら相談室にやってくる。今日、あの人にあったらあの話をしよう、この話もしようと考えながら。彼らと二年間の日々を過ごせたことは、これ以上にない時間と経験でした。わたしにとっての苦しみは、なので、子供達そのものでは、ない。

たしかに担当しているケース数は膨大になり、生徒との面談以外の業務も増え、調べることも書類の作成も、行政の人との会議も、保護者との面談も、分刻みのようになっていた。朝の10時から夜の23時近くまでほんの10分の休みがとれるかどうかという日もかなりあったと思う。

それでも、もし当時の職場がわたしを見捨てなければ、私はここまで壊れてしまうことはなかったと思う。

単年度契約、一年毎の更新制だったので、二月頃には退職の意向を伝えた。うつ病を罹患したので退職しますと、はっきり告げたが、担当者は「年度末の更新なしということで処理しますね」と言っただけだった。相当邪魔だったんだろう。

私が今更こんなことを書き出したのは、もう、時間を前に進めなければならない時期だからだ。

昨年一年、大学の先輩のプロジェクトにひろってもらえたおかげで、そしてもともと地元で関わっていたアートチームの躍進により、ずいぶん楽しい思いをさせてもらった。無職を謳歌である。実際、ただの鬱じゃなくて双極性での診断が出ていたため、集中すればするほどに、結果と同等のめちゃくちゃな破綻もあちこちに(特に異性関係に)生まれてしまったのだけど。

今年度に入って、希死はほとんどなくなり、朝、「今起きたらベランダから飛んでしまうから起き上がれない」なんてことはまるでなくなった。むしろ、「つまらなくてもなんでも、生きねば。」みたいなこれまでにない状態になりつつある。状況は、本当にまったく面白みなどない淡々と続く日々があるだけなのだが。

何もしない間に保育士を取ってしまえたのがいまのところ功をそうしている。昨年度の頭に取ってしまえばよかった運転免許は、結局今年に入ってからの取得になっちゃったけど仕方ない、希死がすごい人が免許なんかとったら簡単に自殺してしまう。

というわけで、次のステップとは、イコールで次の仕事なににしよう?ってことだ。今は、繋ぎのつもりで障碍児の療育現場に入っているが、やはり母体の運営方針に共感していないとこの業種は絶対に続かないと思う。

これまでの行き当たりばったりを、多少の計画性に置き換えて進む。

進めるかな、わからないけど。






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