【自己振り返り】忘れることができない因縁の人_(裏)

※暗めな話(結構重めな話ですので、ご注意ください。自分のことを振り返ってるのか、その方への手紙なのか自分でもよくわかりませんが、その方に語りかける感じが混ざってるのが一番素直に書けると思いました)

大人になったら叶えたかった夢があった。
それはけして叶えられる事がない。

私が大人になりきる前に、その方はまだ若かったのに、旅立たれてしまった。

大人になった今も、あなたからの言葉は、今でも忘れてません。

もうかなり前の話になりますよね。
あなたの葬式に参列しました。
沢山の方が参列していました。
皆、あなたの死を悲しみ、大泣きしていました。

あなたには、まだ成長期のお子様がいらっしゃって、残された家族の方を思うと胸が痛みましたが、あなた自身に対しては、私は胸を痛ませることはありませんでした。

私はたった一粒の涙すら流れませんでした。たぶんこれが、はじめて親族関係以外で参列した葬儀だった気がする。

学校の先生という存在は、大抵の方が生きてる上で接する方。先生と言うと、何故かこの人を真っ先に思い出してしまう。

未だに忘れられない、
忘れるわけがない先生がいる。

それはけして、楽しい方の気持ちではない。

正直、私は学生時代の記憶は、
あえて抜け落としてる感じがする。

私は子供の頃、良くない方向に性格のクセが強く泣き虫で反応が大きすぎるので、幼稚園の時から年下すらにも揶揄われやすく、ピーピー泣いてた記憶があります。小3くらいから高校生まで、いじめられてたので、まぁ、人生そのものがしんどかった。

思い出すと嫌な気持ちになるけど、自分の中で、もう過去だからなと少し距離を置けてる部分はある。というか物理的に距離を置いてしまってる。地元から離れるという選択肢をとることで。環境が変わればリセットとまでは言えなくても、切り替えることができたと思う。

でも、どうしてもポジティブ変換で
解決できない事がある。

先生は、なんで、私に、あんなこと言ったんですか?私のことなんだと思ってたんですか?

違うな、違うな、聞きたいけど、それじゃない。

先生は何がしたかったんですか?
どんな気持ちだったんでしょか。

私を散々犯人だと疑っておいて、めんどくさい仕事させるってなんだったんですか、あれは。
たしかに私は可愛い子供じゃなくなかったし、ネジが飛んでる子だった自覚はあります。先生私のこと、たぶん嫌いでしたよね?なら、この子供は苦手だと距離置くだけにしてくれなかったんですかね?なんで、「犯人はあなたじゃないの?」と何回もわたしを問い詰めて、「違う」と言っても全然信じてくれて。そこは、状況が状況だから私が疑われても仕方なかったかもしれないけど、先生が私を疑ったから、他のみんな私が犯人だって疑ってってたんですよ。更にいじめる大義名分が生徒の中でできちゃうじゃないですか。。。それだけなら、まだ良かったのに。

なんで、学年代表で読まなくちゃいけない作文作りを、「あなた犯人じゃないの?」と散々聞いた直後に「あなたやってくれない?」って言うの。おかしいでしょ。私が断れない性格だってわかってるんだ、この人。先生の前でいい子でいることが当時の私の正義だったから、「はい」って言うしかなくて。

先生に作文添削される時間がすごく嫌だったな。。。添削されるって、指摘される時間だから勿論その感じの嫌々もあったけど、わたしの事、犯人扱いのままなんだもんな。

で、なんで、あなたは、これで終わらせてくれなかったんですかね。

学校から帰った私の様子がおかしいことが母はわかってくれていて心配はしてくれたのですが、本格的におかしいと察知してくれて、父親にも話してくれて、父親が激怒して、更に上の立場の方に話してくれました。

次の日、先生がやたら猫撫で声で

「親御さん心配されてたけど、大丈夫?何か誤解があったみたいね」と。

は、、、。

えっ、、、、。

なに、、、、

何を言ってるの。

なんて言ったらいい気持ちか、わからないものになりました。悲しい?気持ち悪い?苦しい?どれでもあって、どれでもなくて。一生忘れない。あの声とあの言葉。

あなたが散々苦しめたんじゃないですか。無かったことにするんですか。何も無かった事にするんですか。大人って簡単に自己利益のために、子供を切り捨てる行動がとれるんですよね。

今、その先生を責めたい気持ちがないかっていったら、嘘になりますけど、それよりも、どんな気持ちで私に接していたのか、大人になったこの目で見てみたかったんです。

子供の頃に感じた事実、
大人になってまた見える事実。

そして、先生と話すことで、しっかりと過去に決別したかったんですよ、多分私は。

もう、これで、おしまいにしようって。
不必要に思い出しても何にもならないし。
でも、何かしら踏ん切りをつけたくて。

学校だけが居場所じゃない。
学校っていう世界だけが人生じゃない。
でも、それがわからないんですよ、子供は。

だから、今はすごく楽。
学校っていう閉鎖空間で生きる必要性がないから。自分で選んだ場所に自分で行くことが出来る。子供の頃は、それが簡単に出来ないんだ。耐えるしかできなくて。

でも、この経験も私の血肉の一つ。自分の気持ちの危機察知能力はここで、身に付いたような気がします。なんだかんだで、自分が追い詰められてると客観的に捉える力が芽生え始めたの、ここがスタート地点な気がします。
役者やってると不思議なもので、経験は財産だと思ってしまうんですよね。勿論乗り越えられた今だからこそ、言えると思いますけども。

私は先生と出会った時の、先生の年齢を超えました。先生だって色んな経験をその後されたと思いますし、沢山の生徒様があなたの死を悲しんでおりました。だから先生は変わったかもしれません。

だから、直接、お話したかったです、先生。

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