【自己振り返り】私の歪みと、過去_(裏)

※暗い話が出てきます。暗いまま終わるつもりはないです。
一役者として、一人間として、
こんな人もいるのかくらいな感覚で読んで頂ければと思います。

「話しやすいね」、「明るいね」
ここ10年くらい、私の印象について受けとる言葉です。

ただ、それは17、18歳くらいの時には、一切言われることはなく
むしろ、暗いし話しかけにくい人だったと思いますし。
私自身も、人と仲良くなりたいのに、空振りしまくり、人と仲良くする方法が、よく分からず藻掻く青春時代でした。

「よく今日まで生きてこれたね。。。。生きててくれて、ありがとう」
「そんな経験して、それぐらいの歪みで、よくすんだね。」

って言われるぐらい、今の私から、過去の経験を悟る事は、ほぼ不可能らしいです。過去の自分と決別できたのかなとは思います。

自分も思い返すと、よく生きることを本気で諦めなかったなと思います。

あんなに毎日死にたいと思ってたのに、
今は程々に頑張るけど、頑張り過ぎず、生きようと思っております。

死にたい は 生きたい の 裏返しじゃない?って
言われて、なんだかしっくりきた気がします。生に執着するから、死を意識する。

生きたいのかな。。。そっか私は生きたいのかな。

でもですね、自分の中に、死にたいと思い続けた経験は蓄積されてしまって、ドロドロしてて邪魔で仕方ないなと思うけど、
私を構成する大事な要素なんですよね。

お芝居という表現の世界に触れることができて、よかったなと思いました。
なんか救われたんですよ、
こんな振り返って、何になるのか分からない気分の悪くなる過去に価値を見出せたから。

その様々な経験は、役者としての君の武器になるよって言葉に
なんか笑っちゃいました。いい意味で。私はなんでも、こう、経験を、役者につなげてしまうなって。

自分が嫌いだから役者をすることに依存してしまった人もいます。昔の私のことです。自分という存在から離れられる時間が嬉しくて。

自分を好きかもしれないと、言えるようになったのは
大人になってからだとおもいます。20半ばくらいからかな。

私は、自分の感情とかに歪さを感じつつも、
それをやたら滅多に、人に当てる事は無くなりましたし、
落ち着きとか理性とかを、手に入れる事ができました。

ただ私は本当に幸運だったんです。

無償の愛を注いでくれて、私を本気で守ってくれて母親がいてくれて
周りから嫌われているだとか私のレッテルを気にせずに対話してくれた親友さんに出会えて
私の歪みの根源を共有出来て、私のペースにあわせてくれる親友ちゃんに出会えて

ここに書いたのはごく一部の人ですが
本当に沢山の人に教えてもらって、助けてもらって、時には傷つけあって学んで、長い時間をかけて今の自分に辿り着きました。

気弱で、泣き虫で、男の子と目を合わすのすら怖くて、地元にずっと留まっているようなタイプだったのに
今じゃ、都内で暮らして、男性社会の中で、年上の方でも必要なれば口論しますし、社長とも全力で口論しますし、バリバリ仕事するタイプになっちゃいました(笑)

少しずつ、自分の過去を振り返ろうと思います。
けして卑屈になることなく、今の自分の糧にするために。

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