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26歳の抱負

先日、26歳になりました。25歳の振り返りや26歳の抱負を友人と話していて、忘備録として残しておきたいなと思ったので、ここに。

さっそくですが、26歳の抱負は大きく分けて3つ。①正しく傷付く②他者に期待しない③受け入れる、です。順に説明していきます。

① 正しく傷付く

この言葉は、村上春樹の小説『ドライブ・マイ・カー』の映画版で出てくるセリフらしく、友人と話す中で知った言葉。

「傷付く」と書くと、どうもネガティブなイメージがありそうですが、ものすごく前向きな意味での「正しく傷付く」です。
というのも、やはり生きていく中で、言われたくない言葉を言われてしまったり、他者と分かり合えないことがあったりする。25歳の1年間は特にそんなふうな出来事が多くありました。

そんなとき、私は傷付いていないふりをしていた。知らないうちに背中に何本も矢が刺さっていた、気付いたら心が大変なことになっていた、みたいなこともしばしば。

自己防衛的な意味もきっとあったのだと思うのだけれど、傷付くようなことがあったその瞬間に、“ああ、わたしは傷付いているな”と自覚することは大事だなと思いました。

それは、自分の心を大切にするという意味とイコールだと思っています。

② 他者に期待しない

わたしは、この26年の中で他者の顔色をうかがいながら生きてきたことが多かったな、と思います。両親や祖父母の顔色。弟の顔色。友人の顔色。恋人の顔色。上司の顔色。同僚の顔色。
だから、こうした文章としての発信も、未だにこわいと思ってしまうときがあります。こんなこと書いて、あのひとからどう思われているんだろう、とか。
わたしには、いくつか夢ややりたいことがあって、強い意志もあって。
でも、ついつい身近な人たちからどう思われているかを考えると、足が竦んでしまいます。しかし、そんな自分とはもう卒業したい、と思わざるをえないことが起こりました。

25歳のあいだで、大切にしたいなと思っていたひとと腹を割って話すという場面がありました。大切にしたいと思えるひとほど、言葉が上手く出てこない。どうしても顔色を見てしまう。伝えるということはとても勇気がいるからこわいけれど、相手と分かり合いたい。しかし思いとは裏腹に、

「そうやって人の顔色をうかがってきた過去を盾にして、自分の要求を通そうとしているように聞こえる」

と言われました。ショックだった。もちろん、そのときはそんなつもりはなかったけれど。

ただ今になって冷静に考えてみると、ある意味ちょっと図星でした。自己開示をし合うことによって、分かり合えるだろうと思っていた節がありました。
相手の顔色をうかがう、ということは、ある意味、相手からのリターンを期待している自分もいたな、と。

「他者と分かり合える」と思っていたことが傲慢でした。
基本的に他者と分かり合えないという前提で、それでも分かり合いたい相手と分かり合おうとする努力が大切だのだと身に染みて思いました。

最近読んだ、さえりさんの記事(https://oune.info/contents/partner/a-important-thing-to-get-married.html)には、納得するばかり。

わたしと夫が(いまのところ)仲良くいられているのは、「わたしたちは別の人間である」と自覚し、きちんと話し、ぶつかり、すり合わせ、ふたりで生きていくときに必要なあたらしい価値観を形成する労力を惜しまないからだと、わたしは思う。
言葉にしても、どうしても理解できない部分もある。でも、それはそのままにして、無理にひとつになろうとしない。たぶん、これも一緒に生きていく相手を見つけるうえでは、とても大事なことだと思う。
-夏生さえり「結婚するなら価値観が合う人がいい」より、大切なことがあった

他者は別の人間である、と自覚する。
他者の顔色をうかがわない。他者に期待しない。

1対1の関係の場合、ボールは常に対等に1/2ずつ持っている。わたし自身が1/2のボールを持っているという自覚を持ち続けていたい。全てを他者に委ねない。

26年間の生き方を一気に変えるわけだから簡単にはいかないだろうけれど、いま、転換期な気がしています。

他人軸ではなく、自分軸で生きていきたいです。自分の人生だから。

③ 受け入れる

①②にあったように、傷付いている自分、他者の顔色をうかがってしまうけれどそこから変わろうとしている自分、など弱い自分がたくさん垣間見えます。

わたしは弱いです。弱音も結構吐いている気がします。
一時は、そんな自分が嫌で強く在ろうとしていたけれど、最近は、弱い自分も受け入れよう、って思っています。

あー、孤独感じているな自分。
認められたいんだな自分。
とか。

そんなどうしようもない、弱ってしまっている自分も含めて、自分を受け入れたい。受け入れ始めたら、弱い自分もちょっぴり可愛い気もしてきました。

最近影響を受けたもの

26歳になって2週間経ちましたが、怒涛の日々でした。①②③の抱負を心に持ちながらも、忙殺されそうな勢いでした。そんな怒涛な日々の中で、本や音楽は心を癒してくれるな、と思います。ので、ここ最近のおすすめを載せておきます。

最近読んだおすすめの本
岸政彦『断片的なものの社会学』

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不思議なことに、この社会では、ひとを尊重することと、ひとと距離を置くということが、一緒になっています。だれか他のひとを大切にしようと思ったときに、私たちはまずなにをするかというと、そっとしておく、ほっておく、距離を取る、ということをしてしまいます。
このことは、とても奇妙なことです。ひとを理解することも、自分が理解されることもあきらめる、ということが、お互いを尊重することであるかのようにいわれているのです。
でも、たしかに一方で、ひとを安易に理解しようとすることは、ひとのなかに土足で踏み込むようなことでもあります。
そもそも、私たちは、本来的に孤独な存在です。言葉にすると当たり前すぎるのですが、それでも私にとっては小さいころからの謎なのですが、私たちはこれだけ多くのひとにかこまれて暮らしているのに、脳の中では誰もがひとりきりなのです。
-岸政彦『断片的なものの社会学』あとがき

他者との関わりが難しい、と思うことの言語化を、まさに岸さんがしていらっしゃって、孤独だけれども孤独でないような心持ちになりました。
まさに、これこれ、という感じ。

最近よく聴く音楽
マカロニえんぴつ「ヤングアダルト」

ハロー、絶望
こんなはずじゃなかったかい?
でもね、そんなもんなのかもしれない
僕らに足りないのはいつだって
アルコールじゃなくて愛情なんだけどな

この歌詞に共感しながら、アルコールで感情を押し流す夜があったりもします。

本や音楽など、文化に日々支えられているなと思います。孤独で絶望で、それでもなんとか生きていかれる。

とまあ、ちょっぴり暗いわたしも見え隠れしますが、結構楽しみです、26歳。可能性に満ち溢れているから、だから。等身大で生きていきたい。1年後、どんなふうに26歳を振り返っているかなあ。

①正しく傷付く②他者に期待しない③受け入れる、の抱負を意識しながら、わたしなりの生き方で不器用ながら歩んでいくので、あたたかく見守っていただけたら幸いです。

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本日、友人と秋風感じる鴨川にて。

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