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父と春
日記ね
実家にのこっている荷物を、東京の家まで
父が車で運んでくれた。
父は生まれながらにして、ヘビースモーカーである。「生まれながらにして」というのはおかしいかもしれないがこの場合はもう「生まれながらにして」、でいいでしょう。少なくとも、わたしが知っている父というのは「父」よりも「ヘビースモーカー」なのであるから仕方ない。
それゆえ車は、タバコくさい。
父にまつわる物で言えば、車以外だってもちろんくさいのだけれど、車がくさいとうまく息ができなくなって酔ってしまうし、だから父の車はとくべつ苦手。
しかしながら、しつこく染みついた車内のタバコ臭とか、ヘビースモークのせいでいまでも喘息で苦しむ夜があることを、わたしは父に対して一度も責めたことなどない。責めても無駄だ。今更、もういいのだ。だからと言って、許すとかではない。もういい。これは諦めか。諦めだ。そうだとしてもこれでいいのだ、諦めることも人生には必要でしょ?
セブンスター。
無言の助手席とナックファイブ。
もう、十数年は乗りまわしているであろう年季の入ったハイエース。この車でいろんなところへ連れてってもらった記憶がある。わたしはこの車と、共に育った。
2011年の震災がくるまえまで、大型連休に青森へ本格的なキャンプをしに行くのが恒例だったし、わたしもそれなりにアウトドアをたのしめる子供だった。震災後は、佐渡ヶ島に行くようになって、数日間で島を一周したり、透きとおった海に心躍らせたりした。千葉の海でぷかぷか浮いて「自由だー!」と叫んだ。茨城の海でウニを獲って、その場で割ってちゅるんと食べた時は幼いながらに感動したが、いまだに、あれを超えてくるウニはいない。
ひょんなことに想いを馳せたりしちゃって、でも、タバコ臭の閉鎖空間にやっぱりちょっと気持ち悪くなってきたもんだから、座席のリクライニングを最大に倒して、入院中の病人レベルの安静さを保った。自衛である。「じぶんのいのちはじぶんでまもろう!」
気持ち悪さをおちつけようとして、のんびりのんびり空を見続けた。
冬の空とはもう言い難い、高くなった青。夏の空みたいなハイコントラスト。青と白の境界線がやけにきもちいいじゃないか。んー、春の空って、こんなもんだっけ?こんなもんか。
桜も満開だっていうのになんだかパッとあったかくはなってくれない春だけれど、空は確実に、春を絶賛上映中なのである。
最近はもっぱら、春か〜〜〜〜という感じがすごい。なんで春って、春なんだよ。春という概念だけほんといくつも瓶詰めにしておいて、これから少しずつ小出しにできたとしたら毎日しあわせに過ごせる気までしてしまうよ。まったく、一種の苛立ちさえ覚えてしまうくらいの季節だよ、春ってやつは。
みんな浮き足立っている。
冬はあんなにほの暗かったっていうのに、いったいどこにそんなおだやかさを隠し持っていたんだい。なんかさ、わたしだけそんなおだやかさを持ち寄れなかったみたいで、ほんと勝手に裏切られた感覚とか、ある。わりとへこむ。
勝手にへこむなよ。
雲の、なんのブレもない白。うらやましいな。わたしはブレブレだもんな、いったい何色なんだよわたしは。何色になりたくて、筆を握っているのかもわからない。んー、わからない。まだわかんなくていいや明日死ぬかもしれないし。
だってさ、
春とか、開花とか、元号とか、そういうことにいちいち一喜一憂できるくらいに、わたしたちはかなり和やかな民族だってこと。他の国に関して、いくらだって綺麗事は言えるけどこれがわたしたちの日常であるかぎり、わたしたちは絶対にこの日常から離脱することはできない。
とか考えたらキリがなくてさ、両手で目を塞いでおやすみしたくなっちゃうんだよね。
そんなわけで、今日もどこかで赤子が生まれ、顔さえ知らない誰かが死んでも、空は青いし雲は白い。
日記だよ
父と春。
ぐちゃぐちゃだからタグ付けはしない
最後までありがとうございました。 〈ねむれない夜を越え、何度もむかえた青い朝〉 そんな忘れぬ朝のため、文章を書き続けています。わたしのために並べたことばが、誰かの、ちょっとした救いや、安らぎになればうれしい。 なんでもない日々の生活を、どうか愛せますように。 aoiasa