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クラス推薦で晒し者になった話

私の中学時代は非常に暗いものだった。
両親の不和と学校でのイジメなどに耐える日々だった。

スポーツができて、友だちの多いやつが偉い。
先生の言うことをきかないやつが偉い。
声が大きく、ケンカの強いやつが偉い。

中学生ほどの年齢になると一部の生徒にこんな価値観が蔓延する。
自分のクラスにもそんな生徒が数人いて、そんなクラスが新任の女の先生にあてがわれてすごく手をやいていた。

私は学校職員の息子として優等生でなくてはいけないと思っていた。
少しでも問題を起こそうものなら親に迷惑をかけてしまうのだ。

田舎の公務員は常に嫌味を言われる立場だった。特に外から来た父は地元に基盤がないため肩身が狭かったかもしれない。小学生の時は散々親を泣かせ、叱られ大変だった。人とはなるべく関わるべきでないと思っていた。

学校はとにかく楽しくなかった。テストの成績はそこそこだったが、父に怒られるからやっていただけだった。それでも忍耐強く学校へ通った。

中学一年生の冬、全クラスから生徒会への立候補を出すことがなぜか決められ上級生を差し置いて当選する可能性は低く、逆に当選したらしたで生意気と思われかねない恐ろしさのある1年生クラスはもめにもめた。4時間にわたるクラス会議の結果。「真面目だから」という理由でクラス推薦で私が立候補することに勝手になった。断ったものの、結局は受け入れざるおえなくなった。

そして私はそれなりに校内選挙頑張ったものの、僅差で上級生に敗れてしまった。PRくらいはしたし、応援もとりつけたものの、剣道部副部長の上級生に勝る魅力はやはりなかった。
ここまでは仕方のないことと受け入れられた。

「頑張ったね!応援していたよ!」という奴、「いや上級生にいれるでしょ」という奴、「お前なんかが当選するはずがない」という奴。

クラス推薦とはいえ反応はさまざまだった。
当然な意見だったが、この頃の自分にはやるからにはみんながみんなそれなりに気をつかってくれるだろうと甘いことを考えていた。

もちろんそんなことはない。
押し付けた側はこちらのことなんて知るはずはない。
結局クラス推薦で晒し者にされただけだったということを悟った。

それからは人から頼まれたり、人のためになにかしようということは避けるようになった。
今となってはポジティブな意見に耳を傾けてネガティブな意見を気にしなければよかったのだが、そんな元気は昔の自分にはなかった。

悔しくて一晩泣いた。先生にも両親にも兄弟にも相談できなかった。
それから人との関わりへの気持ちの糸はすっかり切れてしまった。それ以降、いろんな成功も、いろんな努力もあったけど、どれもこれも自分で認められていない。

どんな成功も、どんな努力も心から「人のためにする役立つことをやる」という気持ちがなければ虚しい気持ちの中を彷徨うことになる。

「なんのために生きているのか」と誰しも一度は自分に問うと思う。
当然のごとくまず「自分のために生きている」のであり、そしてそのためには周りの人のために生きることが結局は自分のために生きることにつながることを知る必要がある。

自分から積極的な姿勢をみせないことを「愛がない」と言われたことがある。
そうだ私は人に愛とか何かをあらわすことより、傷つかないことを選んでいるんだと感じた。その原因は昔の些細な辛い出来事の塊から生まれてくるのだろうと察した。

自分を助けられなかった親や先生や友だちや周りの人たち、そして自分に対しても赦したいと思う。

そして今一度「自分のために生きる」ことに立候補するために前を向かなければならないのだ。

だれにでもそれなりにある過去の悲しみや怒りは、いつか誰かのために自分のために生きることができるようになった時、笑い話にできる。
いつかはこんなことも笑って話せるようになれればいいなと思う。



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