わたしの嫌いなもの①

    シンガーソングライターのコレサワは歌った。「好きなものが一緒よりは、嫌いなものが一緒のほうがいいな」と。(「あたしを彼女にしたいなら」より)
    そこで今回は、わたしの好きなもの……もとい、嫌いなものをいろいろ好き勝手にリストアップしてみようと思う。このnoteを読んで意外な共通点が見つかったり、はたまた「こいつ…こういうやつなんだな」とゆーのが少しでも伝わったりしたら嬉しい。それではさっそくいってみよう。

1 きのこ
    嫌いな食べ物の代表格である。もし他人からあなたは何が嫌いですか?と聞かれたら、「戦争ときのこが嫌いです」と答えるようにしている。そのくらいきのこが持つ罪は重いのである (これを読んでくれている人の中にきのこの関係者、きのこの親戚、きのこの婚約者などがいたらたいへん申し訳なく思うのだが、ひとつ弁解をしておくと、きのこが持っている文化的・自然環境的な価値と、それをおいしく食べられるかどうかはまったく別次元の話である。) もういつからきのこが嫌いなのかは定かではないが、これが平安時代なら「ゆゆしきゆえあることにやあらむ」などと書き連ねているところだ(「はなはだしい前世からの因縁があることなのだろう」)。

    そもそもきのこは菌類なのであって、これを最初に食べようとしたやつの気が知れ………なくもないが、いや、そんな木の根っこに生えてるやつなんてそのままにしとけよ。ともかく、きのこを食べるのはワンピースかどうぶつの森の世界だけで充分だ。はやく世界中のきのこが「きのこのテーブル」や「きのこのスツール」あたりにDIYされてしまえばいいのにと思っている。

    しかし悲しいかな、わたしももう立派な大人であるから、そんなわがままな好き嫌いは許されない。「きのこを食え、きのこを食わないのなら、殺す」の世界である。事実わたしは殺されたくないので、場合によってはきのこを食べることが可能である。それは以下のような場合である―たとえば、クリスマスに少し高価なフレンチを頂いている時、「こちらフォアグラのソテー、ジロール茸添えでございます」などと言われた場合である。どれほど厚顔無恥な人間でも、ここで「おれ、ちょっときのこ食べれないんだよね」などとのたまって、隣からの冷ややかな視線を退けることは不可能であろう。こんな状況の選択肢は、潔く腹を切るか腹を括るかの2択しかない。わたしは後者を選んだ―ジロール茸はほのかな杏子のような味がしてとても美味しかったのだが。

    あるいはまた、先日蕎麦屋に入った時のことである。お腹を空かせたわたしは「ミニお蕎麦と天丼のセット」850円を注文した。さてお盆に乗った蕎麦と天丼が運ばれてくる。冷めないうちに蕎麦をいただき、つづいて天丼に目をやる。 天ぷらは手前からいただくのがマナーだと聞いていたから(もっとも、天丼ごときにそんなマナーが適応されるべきなのかはわからないが)、わたしは手前からオクラ、ナスと天ぷらを食べていく。そうして残ったのが、丼から溢れんばかりのりっぱなえびの天ぷらと、……なんだろう、このうすく円柱形に切ってあるのは。む、少し紫っぽいところが見えるな。ナスはもう食べたから、これはそうだ、サツマイモの天ぷらに違いない!わたしはサツマイモが大の好物である。ここはひとつ、えびの天ぷらを先に食べ、おいしいサツマイモを最後に残しておこうではないか。わたしはタレのたっぷりかかったえびの天ぷらをおいしくいただき、待ってましたとばかりに丼のなかで然としているサツマイモにかぶりつく。うん、とてもプリっとしていて………プリっと……………プリッと…………?
    わたしは絶句した。円柱形の物体を歯に挟んだままわたしは硬直した。この食感、このにおい、この味。わたしがサツマイモだと信じて疑わなかったその円柱形は、まぎれもなくシイタケの天ぷらだったのである。わたしはこの瞬間だけクリスチャンになろうかと思った。前世でどんな罪を働いたら、長丁場のバイトでやっと訪れた休憩時間、へとへとになりながら憩いを求めて入った蕎麦屋で、こんなにもひどい仕打ちを受けねばならぬことがあろうか。しかしここで引き返すわけにはいかない。この店にはいまわたしと店主の2人しかいないのだ。ここでシイタケを堂々と丼にのせて店を出ようものなら、「あのスーツの若造、シイタケを残しやがったな。生意気な奴め」などと思われ、次回来た時にシイタケの量を3倍にされるに違いない。わたしはしかたなく歯を動かし始めた―まあ、そのシイタケの天ぷらには香ばしい天丼のタレがかかっていてよく火も通っていたから、わたしが忌み嫌っているあのシイタケのようないまいましさはなく、そこそこ平穏な気持ちで無事に食べ終えることができたのだが。
 とにもかくにもわたしは、少しずつこうしてきのこを克服しているようである。

 きのこの話をしていたらいつのまにかだいぶ字数もきてしまったので、いったんここで締めることにする。これではタイトルを「嫌いなもの①」ではなくて「きのこ①」にしたほうがよさそうなものだが、こんなエッセイに②があってたまるか。なるべくならこれからもきのこを避けて―ちなみにわたしはエノキはそこまで嫌いではないのだが、これはきのこ嫌いの総意ではなかろうかということを最後に提起して終わりにしよう― 生きていたいものである。

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