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へんてこな手術

 まったく骨の折れる人生であったが(齢19にして言うことではない)、幸いなことに、人生で一度も骨折をしたことがない。

 そういえば、骨折しそうになったことはある。小学5年生のとき、小さな自転車で30㌔ほどの速度を出しながら夜の闇を疾走していた。なにかに取り憑かれたかのように、100均で買った火薬を入れるタイプのピストルのおもちゃを片手に、公園のベンチに座るカップルを大声でからかいながら、塾の友達と爆走していた。向こう側から来る車を避けようと思ったわたしは、道路と側溝の境目にひっかかり、ちょうどマジシャンがはじいたコインのように宙に投げ出された。さて、わたしは表にも裏にもなることなく、おでこから鉛直方向にむけて、あまりに綺麗な着地を決めた。以下は当時の友達の証言である。「ドラクエの世界に来たのかと思った。気がついたら、いきなり目の前に頭から血を流して叫んでるやつがいたからさ」

 まあそんなことはともかく、わたしはとりわけ身体的には大きな怪我をすることもなくここまで生きている。そんなわたしも、これまでの人生で2回だけ「手術」というものを受けたことがある。そりゃ誰だってあるだろう、と思われる人がいるだろう。たしかに、ごもっとも。19にもなって手術を受けたことがない人の方がめずらしいと思う。しかしながら、もう今から5年ほど前になるだろうが、わたしが経験したその手術は、およそ人間の尊厳を踏みにじられるかのような、過酷で、それでいてみじめな手術だったのである。 

 わたしは耳鼻科の待合室で「スッキリ」を見ながらその時を待っていた。わたしの地元にあるこの耳鼻科は、「鼻が詰まっていたり喉が痛かったりするときにチューブから粉末状になった薬を吸うアレ」にバニラやいちごやレモンの香りがつけられるということで、子どもたちにも大人気。地元では評判の病院だ。待合室には子ども用の遊びスペースまであり、たくさんの鼻たれ小僧が放たれている。ここにも小さなテレビがついていて、たいていはアンパンマンのアニメが流れている。
 ポーン。「○○さーん。診察室にどうぞー」いよいよである。これからどんな手術が行われるのだろうか。毎年特定の季節になるとまったく使い物にならないこの鼻は、どのように華々しく生まれ変わってくれるのか。学校を休んで病院を訪れていたということも相まって、わたしは少しワクワクしながら診察室へと歩みを進めた。

 さて、いよいよ先生とご対面である。わたしは小学生の頃から長らくこの病院に通っているのだが、先生のわたしに対する口調は小学生で時が止まっている。「それじゃ〜〜○○○くんね、今日は鼻のレーザー手術をやってこうか。ぜんぜん痛くないからね〜、うん、だいじょうぶだよ」まったく。わたしはすこしムッとした表情で次の指示を待つ。「えっとね、まず鼻に麻酔をするから、ちょっと上向いてもらえる?」
 来た。やっぱり麻酔の注射はあるのか。麻酔の入ったトレーを持った看護師さんが近づいてくる。えーと、どんな感じなんだろ…え?注射じゃない。「そしたら○○○くんね、いまからこの麻酔を染み込ませたガーゼをいれていくからね」
 ちょ、ちょっとまってくれ。そのピンセットでつまんでるそのガーゼ、余裕で15センチはある。なんなら定規よりデカい。え、それ突っ込むの?鼻に?口と間違ってない?そんなことを考えるまもなく、無慈悲にもガーゼはするすると鼻に入り込んでいく。まもなく喉の奥にじとじとと苦い麻酔が垂れてきて、何とも言えぬ不快な感覚を覚える。わたしは麻酔をバニラ味かレモン味にしてもらわなかったことを心の底から後悔した。え、まって、もう1枚?さすがにこれ以上は入らないってちょっと………ウッ。え、まだいくの?え?
 人間の鼻の穴というものは遥かな可能性に満ちているようだ。けっきょくわたしの鼻は、15センチのガーゼをしめて5枚ずつ(この時にはすでに感覚が無かったので確かなことはあまり覚えていない。盛って10枚とか768枚とかにしておいてもいい)で瞬く間にいっぱいになった。
 「そしたらね、これから麻酔が効いてくるまで待合室で待ってもらうんですけれども」ふむふむ。「麻酔の効果で口からよだれが溢れてとまらなくなるので、この容器とティッシュ箱を持って待合室で待っててください」…………………………は????

 そこからの20分間は…地獄であった。閉じない口。止まらないよだれ。広がる鼻。麻酔の刺激臭。周囲の目線。ティッシュ箱から3秒おきにティッシュを抜き取っては口に当てて容器にしまう作業。かつてこれほどまでに滑稽な姿を人前に晒したことがあっただろうか。なにも待合室送りにしなくたっていいじゃないか。待合室にはテレビがあるからか。冗談じゃない。全くもって「スッキりす!」じゃない。ガッカリすだ。一巻の終わりすだ。だいたい全自動よだれ垂れ流しマシーンと化したわたしが上の方についているテレビを見るには顔の角度が無茶だ。「あの人なにしてるの〜」とどこからか聞こえる子どもの声。お前は早く学校行け。もう始まってんだから。思春期の少年はいらだちと羞恥心でいっぱいであった。

 なんとか地獄の20分間を終え、わたしはほうほうの体で手術台にのぼる。手術自体は呆気のないもので、少し焦げたような臭いを感じるだけで痛みもない。全ての手順が終わって先生と最後にお話。「明日からお風呂にはいってだいじょうぶです。学校も普通に行って問題ありませんが、2週間くらいは鼻からゼリーが出てきます」 は? 「でも、鼻をかむのはなるべく避けてください」

 先生は説明した。ガスレーザーで(カズレーザーではない)粘膜を物理的に焼いているわけだから、患部はかさぶたになってぽろぽろとはがれてくる。これがまた厄介で、わたしはその後しばらくの間、鼻から生成されるよくわからないゼリーを学校のトイレでちまちまと取り除かなければいけない苦労にさいなまれた。幸いこの後3年ほどは花粉にそれほど悩まなかったから、実際に効果はあったのだろう。ただ近頃はさすがに手術の効果も切れてきたのか、ひどい花粉症に悩むことも多くなってきた。もうそろそろ手術し直しの時期なのかもしれない。今度再び手術する機会があれば、その時はアンパンマンが流れている遊び場のほうで待機していることにしよう。子どもたちから「あの人、口から何か出てるよ!カレーパンマンみたいだね!」と思ってもらえるかもしれない。

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