欲しいもの

「綺麗なあなたは愛せるけど、そうじゃないあなたは愛せない」

って言われるのと

「綺麗なあなたもそうじゃないあなたも愛してる」

って言われるのどっちが嬉しい?

様々な基準や常識が蔓延った世界に生きていると、しだいに様々な条件を「身につけなくちゃ」「自分のものにしなくちゃ」と思い込み始めてしまうけれど、ちょっと待って。

それはあなたが本当に欲しいもの?

美しい誰かを羨ましく思ったとして、自分もああならなければならないと焦った時

私は無意識に「私もああいう風になればもっと愛される。幸せになれる」って、"今の私"を否定する。

"今の私"を悪者にする。あたかも諸悪の根源のように仕立て上げる。

私はとっても気分が悪くなるし、美しくならなければ価値がないとさえ思い詰める。

だけど、そうやって手に入れた愛や幸せは、「美しい」という条件と引き換えに得られるものだ

いわゆる「条件付きの愛」

そうでしょう?

さて、それは私の欲しいものだった?

違うよね。私が欲しいのは無条件の愛。

それは、どんな状態の私にも常に注がれているもの。

今すぐ、認めていいんだよ。

「私は今、すでに美しい。私はこのままでいい」

つまり、「美しくならなければ」と焦る必要もなければ、はなから美しくなる必要もない。

そう、美しくなる必要は無いのです。もう美しくならなくていい。

私が欲しいのはいつだって無条件の愛なのだ。

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