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適応障害と言われた日(前編)

2018年11月、新型ウイルスが広まるよりもっと前。

私は味覚障害を発症しました。カレーの味が分からなかったのです。


今思えば、いつから分からなかったのか、定かではありません。

その数週間前には友人と外食チェーン店でちょっと良い鍋をつついていたこともあったのですが、味覚障害に気づいたすぐ後に思い返しても、その味すら思い出せませんでした。きっともっと以前からだったのでしょう。人間の食事なんて、視覚と嗅覚で惑わされているものだなぁと、他人事のように思ったものです。


最初に私を襲ったのは今思えば鬱ととてもよく似ていましたが、正直言って、自覚はほとんどありませんでした。

仕事に行くのがとにかく億劫で、朝に腹痛、動悸、めまい、時に過呼吸になることが増えました。味覚障害にも気付きましたが、それが鬱のよくある症状の1つとは、当時知りもしなかったのです。

その為、家族の勧めもありましたが、「ただの体調不良、休みの日に飲みにでも行って発散すればいい。」その程度に考えていました。


ところがある日、家族で車で外出していた帰りに、欲しかったUFOキャッチャーのぬいぐるみが取れなかったことがきっかけで、当時まだ幼かった娘がぐずり出したのです。

いつもなら、また今度行こうね。と、ある程度平然と受け流していたのですが、その日の私は、休日に外出していた疲労もあったのでしょう。娘の泣き声に、悲鳴をあげてしまったのです。

そのまま車内にいることもできず、停めてと叫び、停車寸前のところで外へ飛び出しました。


その時、私が考えていたのは、娘に対して、なんて態度を取ってしまったんだろうという罪悪感と、常々言われていた心療内科へ行って早く薬を貰わなければ、という切迫感でした。


ほとんど泣きながら、近くにあった心療内科へ駆け込みました。

後に知りましたが、多くの心療内科では、初診はどうしても問診に時間がかかる為、予約出来る日時が決まっているようです。

私も例に漏れず、その日は診察を受けることは叶わず、何曜日の何時に来てくださいという紙を渡され、新患さんの人数が定員に達していなければ、その日に診察できる旨を伝えられました。


その後、娘を家に送り届けた夫が迎えに来てくれ、なんとか家に帰ることが出来たようでしたが、ただただ放心状態で、伝えられた日時まで眠らずに過ごしました。


もっと早く病院に行っていれば、こんなことにはならなかったでしょう。娘に辛い思いをさせることもなく、夫に迷惑をかけることもなかったでしょう。

でもそれはもう過去の出来事。覆すことはできません。


では今出来ることは、これから出来ることは何か。

それはまた次回更新にて。



ちひろ

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