昆虫の乱獲問題について思う事

TV等でカブトムシ愛が強すぎてとか言いながら1日何百匹捕まえました!とか
神社でイベントやって無料で配る為に近隣の森林から捕まえてきてます!とか
弱った昆虫を雑に処分するホームセンターとか
そういうのを見て、皆違和感無いのかなと思ってた。

我が家は元々、生物お持ち帰り禁止。でも現在1ペアだけ野生から連れ帰ってきて飼育してる。
以前、ホームセンターでひっくり返って起き上がれないカブトムシを見つけ、弱るといけないから店員に報告した。
既にあまり元気がない状態だった為、店員はバックヤードにその子を雑に処分。私はそれを見てしまった。
私が余計な事をしなければ、その子はもう少しの間生きれたかもしれないと思い、非常に後悔した。

せめて、自分の子供達には生物を慈しむ心を育んで欲しい。情操教育の為にも飼育を始める事に決めた。
だが、連れ帰る際は非常に罪悪感が強く、森から宝物を盗んでくるような感覚で、何度も心の中で謝罪した。絶対に子孫を残させてやらければと、毎日産卵に関する情報を漁り、後日卵を産んだ際はその森にお礼を言いに行ったくらいだ。

だから、好きだからと言う理由で無闇に乱獲したり、自然を尊び祀るはずの神社が、自然に興味を持つキッカケ作りとはいえ乱獲し、あまつさえそれを「おこころざし」と称し善行とするのは何かズレてるような…と思う。

あくまで私自身のスタンスとしての自然との距離の取り方が、野生から連れて帰らないというだけで、興味を持ってもらう為に触れ合い、観察•飼育の機会を設ける事は全く悪ではないと思っている。
寧ろ、自然との共生の意識を育む為には必要な事だと思う。

昆虫は多少乱獲しても、絶滅する事はないって声も聞くが、いやね、そういう問題じゃないんだよ。

観察をし、土を力強く堀り進め潜る姿を見て何を思うか。
自然の中ではこんなことが日常に行われていて、それは土を耕す事になり、環境を形成する一つの要因になっている。1匹でこの役割りならば、複数居なくなった際の、「環境」にとっての損失は…

そういう思考やイメージが出来ない事が残念だって事。

海外で昆虫が日本向けの輸出の為に乱獲されてるって話は、先進国で教養のあるはずの人間が何やってんの?っていうよりは、さすが市場社会主義に飲み込まれた人間がやる事だなって感じ。
市場の概念が混入して、倫理観を保つ事ができないのなら、それこそ誰かが言っていたように、行政が入って規制でもしないと収まりつかないと思う。

気軽に手に入る•飼える生き物なんてのはないようにしていかないと。人間的な感傷は自然とはかけ離れたものであったとしても、それをポジティブに投影できるのが人間らしさであってほしいと私は思う。

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