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夏、前夜
雨が降ると悲しくて、でもこの悲しさを全部雨のせいにするには悲しい日が多すぎた。
だけど私はやっぱりこの季節がとてもすき。
外で風鈴が鳴る。
祖父が取り付けたもので、2つも付けたからちょっとだけ賑やか。
田んぼに水が張られだすこの季節のにおいで小学生の頃のプール開きを思い出した。
読んでいた本に「こんな本を読んでいないで走りなさい!」と書いてあったから走った。
ほんとうに走った。
小山田壮平のライブに行ったこと、すこし悲しい思い出になってしまったからあまり人に話せていない。
公園でひとり心がぎゅーっとなっていて、縋るように音楽を聴いたらあまりに優しい音が鳴って、私は少しだけ自分に戻ってこられた。
私は話すのがうまくなくて、だからといって文章もうまくなくて、外に出せない色んな色んな色んなことが「君が確か言いかけた言葉に全部詰まっていた これ以上はよしてよ」という歌詞ひとつで救われてしまった気がした。
私の話せなかった言葉に、喉のところで詰まった言葉に、全部が詰まってる。
私がめそめそ泣いてたらそれを見た父が私を笑わせようとしてきて、その優しさに思わず涙をこぼしたまま笑ってしまった。
父も母も私のことを普通だと思ってくれている。
泣いていても眠れなくても腕に傷があっても。
その優しさをちゃんと受け取れないまま、今日も涙をぽろぽろと流した。
最近とてもよく泣く。
すぐに心がいっぱいになって溢れてしまう。
精神保健福祉センターの相談窓口に電話をかけて、相談員の人が優しくてぼろぼろ泣いた。
「応援してますからね」って言ってくれて、本当のことは何も言えなかったけど、その声だけが電話を切った後もじんわりと響いた。
大切な人たちが悲しんでいると心配で、でもちゃんと悲しめているといいなとも思う。
悲しみに鈍感になっていったとしても、そっちの方が生きやすいのだとしたらその変化も愛おしい。
変わっても変わらなくても、自然に生きていられたらいいと思う。
水が高いところから低いところへ流れるように、ただただ自然に。
私たちが流した涙も未来に繋がっていますように。
同じ痛みと涙をたどれば、いつだって私たちは必ずめぐり会える。
だから安心して幸せになったっていいし、まだ悲しみに暮れていたっていい。
夏の気配で思い出すのはあなたが教えてくれた歌だった。
ここから出たなら夏のきわまり。
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