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やさしい人

悲しい気持ちをそのまま悲しいって言わなくなったのはいつからだろうか。

相変わらず日記は書いている、が、それを公開したいと思わなくなった。
他人の目を気にせずに書いていい私だけの日記ですら、頭に色んな批判が浮かんで、言い訳するように言葉を書いてしまう。
人の心の裏の裏はただの表だったりして、みたいに、裏まできちんとしてないとそれが表に出てきてしまうような気がして、私の全部が見透かされてるような気がして逃げるように自分の内側に引きこもった。

前に、母が私の肌について指摘してきて、それに傷ついた私はそのことを母に伝えると「それを言ったことが間違ってると思わない。悪いと思わないから謝らない。」と言われて何も言えずに涙だけが出た。
父が私の大切だったものを捨てていて、「これ捨てちゃうの?」と聞いたら「1年以上ここに置きっぱなしにしてて使わなくても困らなかったんだからいらないと思ったんだけど」と言われて、父が正しいなと思ったのに、それなのに、どうしょうもなく涙が出てしまった。

母が正しい。父が正しい。
頭の中でずっと何が正しいのかを考えていて、私が正しくないことだけはわかるのに、頭ではわかってるのに、心が全然追いついてくれない。
みんな正しいのに私だけが間違ってる。
私だけが私を許せない。

悲しい気持ちをそのまま悲しいって言えなくなったのは、それを言うと一緒に悲しんでくれてしまう人がいるから。
悲しまないでほしい。
こんな気持ち、伝わってほしくない。
そう思うのに、そう思えば思うほど私はひとりで死ぬしかなくなってしまって、身動きが取れなくなる。

やさしいひと、どうか悲しまないで。
毎日落ち込んでいるぼくは、君の悲しみに気づかない。
それでも、それでもなるべく悲しくないといい。
眠れずに夜が明けてしまってもいちばんはやく太陽に会えるよと言ってくれたひとが、私の言葉を好きだと言ってくれたひとが、大切だと言ってくれたひとが、特別だと言ってくれたひとが、大好きだと言ってくれたひとが、やさしく、やさしく生きていたらいい。

やさしいひとが、悲しみに慣れてしまいませんように。

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