「なぜなぜ」は自分がするから意味があるのであって、他人への「なぜなぜ」は嫌がらせでしかない。
「なぜなぜ」とはトヨタがやっているということで多くの企業でまねをするようになった「なぜなぜ分析」のことである。何か問題が起きたときや検討事象に対してなぜそれが起きたのか?なぜそれでよいのか?など「なぜ?」と何度も問うことで根拠を明確にすることでいいかげんな対策や安易な思いつきでやってみての失敗など、無駄を極力減らすための行為である。今ではトヨタなどの製造業だけでなく多くの企業でも使われるようもなってきており、自問自答をすることで自身の提案内容のブラッシュアップに効果的な手法であると言える。
しかし、間違って進化した「なぜなぜ」君や「なぜなぜ」さんが存在する。
「なぜ?」「どうして?」と聞くことが正義とばかりに上位職者の「なぜなぜ」君と「なぜなぜ」さんは担当者を質問責めにするのである。挙げ句の果てに「なになにをした方がいい」「なになには調べた方がいい」と多くの宿題を課すのである。しないよりはした方がいいのはそのとおりだし、知らないよりは知っていた方がいいのだろうが、限られた期間に限られた人数で限界ギリギリでやっているのだ。少しは考えて言ってもらいたいものだ。しかもまなじホワイト気取りだから残業はあまりするなと言ってくる。お前がやれと言ったことをやってるんだろ?期間や人数を考えて言えっつーの!と言いたいが言えない。
そして、がんばってやり遂げたところで思いつきで言った「なぜなぜ」である。報告する頃には忘れていて「えっ?なに?そんなこと言ったっけ?まぁわかった聞くよ」と他人事である。サラリーマンというものはそんなもん(そのような扱いが当たり前)かもしれないがやってらんない気持ちでいっぱいだ。こういうことが無駄なんじゃないの?こっちこそ「本当にそれ必要ですか?」と質問したいがとてもできない。心身を疲弊させて限界まで従うしかないのが白いブラック企業に勤める者の定めなのだ。
「なぜなぜ」と言うだけなら誰でもできる。
まったく「なぜなぜ」をしないで思いつきでやるのも問題だが、逆に思いつきの「なぜなぜ」を考えなくただ言えばいいというものではない。
何事も程度問題である。
今回のお題は「なぜなぜ分析」を例に言ったが、こんなこと、世の中で「良い手法」とされることはたくさんある。特にお偉いさんは他社の成功事例を聞いたらすぐにやり出すところがある。しっかり理解せずに付け焼き刃ですらないのに雰囲気でやったり言ったりする。自分に都合がよい形に勝手にカスタマイズしてやってくる。自分ができるところだけ、理解できたところだけのとんでもないカスタムであるからタチが悪い。
そういう輩は無駄を省くとか効率化を叫びながら、無駄を積み上げて部下たちを疲弊させていくのだ。
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