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やばい管理職、証拠を残さず無茶なことをやらせる

核心のことを言わず、「お前ら!察してうまくやれ!」という圧力をかけてくる。
なんかあった時に自分自身が咎められないように、きつい言葉も言わないし、証拠も残さない。
何かあっても、、、
「自分はそんなことを言っていない。」
「部下が勝手にやったという。」
と逃れるためだ。
だから、、、、部下がリスクを負ってやらなければならないのだ。
奴らは暗黙のプレッシャをかけてくる。
そして、抜かりなく、従わねければならないという職場の雰囲気作りを行なっている。もちろん、証拠も残さずにだ。
形式的にはホワイト職場のようだが、実際はものすごくブラックだ。
もし、部下が明確な言質を取ろうとしたり、文章で明確な確認を取ろうものなら、とんでもなく不機嫌になったり、最悪、それ以降の職場での立場を悪くさせてしまう。いわゆる小中学校で起こるような先生にバレないような陰湿ないじめが発生するのである。
だから、そんな目に遭いたくないから嫌なことでも忖度してやらなければならないのだ。
きっと裁判沙汰になったところで、証拠もないし、周りの人も余計なことに巻き込まれたくないとダンマリを決め込むことだろうから、こんな輩は逃げおうせるのだろう。

今日もまた一人、犠牲者が出た。
今回の犠牲者は正義感の強い管理職だ。
部下を守ってやりたい気持ちと、上(さらに上位の腐れ管理職)からの理不尽な要求とに挟まれてかなり疲弊していた。「部下は守るもの」という信念を守ってきた白いブラック企業では珍しい管理職だけに、今回の板挟みは厳しい。自分の信念を貫くか、曲げるかの選択だ。貫けば相当の制裁を受けることになるだろう。しかし、新年を曲げれば自分がなくなってしまう。究極の選択だろう。

見かけだけホワイトにしている企業ほど、陰湿で辛辣ないじめや制裁をしているように感じる。
だったら明らかにブラックの方がまだマシと思える時さえある。
もちろんブラックはダメだが、世間様にはいい子ちゃんのフリして、社員には酷いことを強いる会社は、表沙汰にならないから改善されることは決してない。
トコトン限界まで行き、そして死人が出ても、スケープゴートを立てて悪の根源は何も変わらないのだ。
こんなことを言ったらおしまいかもしれませんけど、そんなんずっと昔からの当たり前、時代劇だって同じようなことを毎回やってるでしょ?酷い社会というものは人間の社会では常識じゃないか!と思わざるを得ないのかもしれない、、、、
ドラマと違うのは、悪をやっつけてくれる正義の味方、水戸黄門も必殺仕事人も半沢直樹も花咲舞もいないということだ。
だからこそ、作り物のドラマの世界だけでも、爽快に悪をやっつけてくれるドラマに多くの会社員たちは惹かれるのかもしれない。
もしも、悪がいつまでものさばって、多くの普通の人が毎回搾取され、虐げられ続ける状況というリアルな状況をドラマ化したら、視聴率はどうなるのだろう?
挑戦的な脚本家さんがいたらぜひドラマにしてもらいたい。
もはやリアルなだけにドキュメンタリーかもしれないが、そこにドラマはあるはずだ。そこに生きる人のやるせない気持ち、耐えながら生き続ける姿、そうせざるを得ない事情、葛藤、諦めなど、、、、さまざまなドラマがそこにはあるはずだ。

それぞれの人生には、それぞれのドラマがあるのだが、さすがに最近のリアルな状況はテレビドラマよりも辛辣で残酷のような感じる。もはやテレビよりもドラマであり、テレビで流したら教育上良くないなんてクレームがくるかもしれないでしょうね。

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