誰かの話を「消費」してないか
先月から多くの任国外旅行者がエチオピアを訪ねてきているらしい。具体的な数は知らないが、JICAのエチオピア事務所は受け入れでパンクしそうな忙しさだとか。
訪問者の中には同期も多かったので、そのうちの何人かとは会って食事をした。任地のこと、悩み、ストレス発散法…話のネタにはそうそう困らない。
同期と話しているとよくあるのが「その場にいない同期の話」。噂話か。
盛り上がるけど、時々落ち着かないことがある。
ポジティブな話はあまり気にならないんだ。活動頑張ってるよとか、この前一緒にどこ行ってね…とか。
そんな中に、その話私聞いていいの?というものがたまにある。そういう話って、会話を盛り上げたりつなげる為に「消費」されている話じゃないかと最近思うようになった。
きっかけは自分の退避・任地変更。
知られて後ろめたいことなどないんだけれど、「誰が任地変更になったんだって!」という話でよその会話を盛り上げるのに使われるのが嫌。国内情勢を知っているエチオピア隊員ならともかく、別の、とくに安定した地域にいる人に。
話している人は本当に心配してくれてるかもしれないし、そもそも他の人が自分にそこまで興味なんてないかもしれないし、自意識過剰と被害妄想だとも思う。でも、嫌。
じゃあここで書いているのは何だと言われたらそれもその通りなんだけど、
①noteを書いていることを知り合いにほとんど話していない
②わりと読んでくださる方が固定してるし過去の経緯も書いてるし
と私の中で線引きしているので、いいことになっている。私がよければOK。
そういうことで、「他人の話を消費しない」が最近日本の人と話すときのマイ合言葉。
読んで頂いてありがとうございました!
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