従姉の死

 私はどこかに出かけていた。川沿いの道かもしれないし、納骨堂かもしれないし、ちょっと歩いて砂浜まで行ったのかもしれない。ともかくどこかに出かけ、そして父方の実家に帰ってきたところだった。靴を脱いで玄関を上がり、居間の戸を開けると祖父母や親戚が机を囲って黙って座っている。私を見上げ、叔父が「千夏の心臓が止まった」と呟く。いつもはひょうきんな叔父で、だから彼の真顔は他の人の真顔よりも真実味があると私は現実でも思っているのだが、その言葉を聞いて私は千夏が誰のことなのか一瞬わからなくて、しかしすぐに従姉のことだと気づく。そして従姉が入院していたことを思い出し、彼の言わんとしていることに気づく。身体から力が抜けて、膝が崩れて、手を畳につき、そして言葉もなく、嗚咽する。

 そういう夢を見た。もちろん従姉は、連絡など取ってはいないのだが、きっと元気に生きているだろう。なぜ彼女の死などを夢に見なければならなかったのか、もしかしたらツイッターで、身内が亡くなったというような投稿を見たことが影響したのかもしれないが、あるいは、私は彼女に、彼女との思い出に、死の影のようなものを感じ取っていたのかもしれなくて、それが関わってもいるかもしれないと、そうも思う。

 従姉は明るい人だった――死んだわけではないのだが、もう何年か会っていないので、過去形で書かざるを得ない。過去形で書かざるを得ないことも、彼女の夢の中での死に関わっていたかもしれない。更に言えば――いや、それをこれから書くのだ。明るいといってもそれは漫画のヒロインのような健康的な明るさなどではなく、南国の夏の太陽のような、目を射抜き皮膚を焼く、毒々しい明るさだった。私の母などは彼女に何か病名をつけていた。とにかくはしゃぎ回り、飛び回り、私と遊び、いじめた。よく噛まれたことを覚えている。噛まれた痛さは覚えていないが、腕に残ってしばらく消えなかった歯形を覚えている。私の母も祖父母も彼女のことは厄介に思っていた、ことは子供ながらに感じていた。

 中学生になれば少し落ち着いた。その頃の彼女との間には、いろいろと苦々しかったり、恥ずかしかったりする思い出があり、いとこ同士という距離感だからこそ生じ得たそれらは思い出せば微笑ましいのだが、書くようなことではあるまい。大切な、私だけの思い出だ。

 そして互いに忙しくなって、会うことはめったになかった。会ったこともあっただろうが、私は思春期で、彼女は彼女で尖っていて、県立の進学校に進んで受験勉強なんかをしているような私と、ホストをしている男性と付き合っているなんて噂の聞こえるような彼女とは、何か住む世界の違ってしまっている感もあって、会話らしい会話もしなかった。結婚もできる男女の、姉弟でもない、奇妙に近かった過去の距離感が、逆に思春期の私たちを遠ざけさせていたようにも思う。

 彼女に最後に会ったのは祖父が亡くなったときだ。通夜の会場に喪服で現れた彼女の髪は綺麗に染められていたし、化粧も見事に決まっていたし(そのままどんな繁華街にでも出ていけそうだった)、料理やお茶を用意したり私に菓子を投げてくれたりした手の爪は長く、派手に塗られていた。

 彼女は相変わらずふざけたことを言いながら、けれども女性として甲斐甲斐しく働いていた。土地柄かもしれないが、私の親戚たちは男女の歴史的な役割分担に忠実だった。女性がこなすべき仕事を、従姉は十分にこなしていた。私はそんな従姉を見て、何か取り残されてしまったような気持ちになったのであったが、彼女は私に菓子を投げてよこして笑ったりもした。

 坊主のお経が下手だった。彼は風邪をひいていた。お経が終わったあと、私の方がよく読めると言って彼女は私を笑わせたけれど、聞いた大人たちは苦笑していた。祖父の遺体が霊柩車に載せられようとしたとき、彼女は涙を二、三滴こぼした。

 従姉の死の夢は、あの涙の記憶に繋がっているようにも感じられる。

 彼女との思い出の数々は、私には喪失の記憶でもある。彼女と私の間で喪われたものや、彼女の喪ったもの、私の喪ったもの、それらが、彼女との思い出には色濃い。彼女との思い出には、死に向かって歩み続けている私たちの影が焼き付いている。

 何年後、何十年後だろうか、再び彼女の姿を見ることになるのは。その頃には私はもうこの夢のことは忘れていよう。

2015.8.12

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