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人扱いされるために必要だったこと(女性版)

白饅頭さんとごりぽんさんの話に、自分の過去を思い出してマシュマロを送ったところ、まさかの「note書いていただけませんか?」をいただけたので、書いてみることにしました。

まず、きっかけとなった御二方に感謝を申し上げます。また、乱文になるかとは思いますが、どうか御容赦ください。個人的なスタンスとして、過去の暗い話を長時間思い出さないよう意識しているので、この文章は推敲無しで一気に書いています。

前提として、私の昔のスペックを書きます。

【昔】虫歯と口臭あり。背中までの黒髪ロング(櫛が下まで通らない)。フケあり。酷い肌荒れあり。幼少期から視力が悪く、レンズの厚さが1センチ近い眼鏡を掛けている。肥満体型。

本当は写真で比較した方が今との差も比べやすいかとは思ったのですが、今の姿のみを知られている相手に過去の姿を知られたくないので写真は省略します。

まず、具体的にどんな状況だったのかについて、家庭環境の補足をします。主に私を育てたのは祖母です。父親はバイク好きの元暴走族かのように見える人で、単身赴任をしていたため年に数回会う程度でした。母親は繊細な人でした。ぼんやりと家庭環境を察していただければと思います。

当時は未診断でしたが、私は発達障害です。学校はすべて普通学級に入学及び卒業しましたが、発達障害について知られていない時期だったからというだけだと思います。授業中に席を立ったり、休憩中と同じような声量で話したり、筆箱の中に昆虫を入れてずっと観察していたり、先生に怒鳴られても本を読んでいたり、しました。それでもテストの点数は悪くありませんでした。当時は人前でも平気で鼻クソをほじったりしていたので、その時点での知的な遅れが無かったのかは未だに疑っています。

テレビは、クイズ番組以外ほとんど見ていませんでした。流行のものや、年相応のオシャレだとか、そういうものを全然知りませんでした。男子に混ざって、バトエンとかをして遊んでいました。もう少し大きくなると、男女は一緒に遊ばないような雰囲気だったので、私はひとりで本を読んでいました。

そんな状態でも酷いいじめに遭わなかったのは、新興住宅地近くの学校で治安が比較的良かったのと、父親のおかげだと思っています。髪の毛や体型をからかわれるくらいはありましたが。父親が運動会を見に来た時、いつものように運動場の砂を投げつけられていた私を見つけ、父親がその相手を怒鳴ったか殴ったかしたんだそうです。父親とその子のやり取りには居合わせていないのと、噂に尾ひれがついていてどれが本当だか分かりませんが、あの子の父親は普段見ないけど、迂闊に手を出したら父親がやってきてボコボコにされるとでも広まったんじゃないでしょうか。

変わるきっかけは、住んでいる地域で、中学生までは医療費がタダになったことでした。当時中学二年生だったと思います。

今のうちに病院へ行っておきなさいと親に言われて、歯医者に行ったらそこから大量の虫歯の治療が始まりました。磨きやすく安い歯ブラシを歯医者で買い、虫歯と口臭が同時に減っていきました。

皮膚科に行ったら塗り薬を処方され、油っこいものの食べ過ぎを注意されました。皮膚科の先生に叱られるので、それまで毎日のように食べていたポテチを週一くらいにしました。カップ麺の頻度も減らしました。ニキビだらけのボロボロだった肌が肌荒れ程度になり、体重は肥満から普通体型になりました。

眼科では眼鏡と視力が合っていない、眼鏡だと調整が難しいと言われました。目とレンズに距離がある分、見え方がゆがみやすいんだそうです。それで、コンタクトに変えました。

口臭が無くなって初めて、自分の体臭に気づきました。お風呂に入る時間が長くなり、夏は毎日髪を洗うようになりました。背中まである長い髪を洗うのは大変だったので、ばっさり切ることにしました。

メンタルクリニックでは検査をしました。発達障害だと診断されて、その時はよく眠れていなかったので、いくつか薬が処方されました。価値観を分からないと思ったら覚えよう、と諭されました。なるべく心がけています。

ちょうどこの時期、漫画にはまっていました。好きなキャラがサラサラのショートカットだったので、それに近づこうとして、お小遣いを貯めて美容院へ行き、これに似せて欲しいとリクエストしました。ここでストレートパーマというものを初めて知りました。髪の毛がコンプレックスだったので、衝撃でした。変えられるものだと思っていなかったんです。ストレートパーマをかけ、学校で怒られない程度の焦げ茶に染めました。

ショートカットなら、私にも髪のケアが出来るようになりました。ストレートパーマをかけた髪の毛は、それ以前と見違えるようになったからか、ショートカットにして学校に言った日にクラスの人から話しかけられました。「似合うね」と褒められたのが嬉しくて、今でもショートカットのままです。似合うね、と話しかけてくれたのはクラスでいわゆるカースト上位の女子でした。この辺りから、私は女性として扱われるようになりました。世間話という名前の情報が、入ってくるようになりました。

度の強い眼鏡をかけていると、輪郭が歪んで見え、目は豆粒のように見えていたことをここでやっと知りました。眼鏡を外した上に痩せた結果、目が大きく見えるようになった為か、複数人から整形を疑われました。目頭を切ったのか、と。

スカートの時に足を広げて座ってはいけない。リップには色のついているものがある。おしろいはファンデーションと呼ばれており、いっぺんに出来るものがチューブで売っている。そんなことを知りました。服は世間話の中に出てきた店のマネキンをそのまま買ったり、店員さんが勧めてくれた服を買うようになりました。店員さんにメイクを勧められたので、またお小遣いを貯めてメイク道具の売っている店へ行きました。何を買うのかも分からず店員さんに一式揃えたいと話すと、ひとつひとつ使い方を教えて貰えました。全部買いました。

焦げ茶のショートカットにナチュラルメイクの、地味でどこにでも居そうな女子大生が出来上がりました。過去の私を知らない人達は、私を初めから、人として扱ってくれました。少なくとも私はそう感じています。

昔の私はよく、「〇〇ちゃんだから仕方ない」と言われていました。メイクをしたくないのではなく、名前も買える場所も使い方も知りませんでした。服も同様で、何がオシャレなのかもTPOもさっぱり分かりませんでした。どう見られていて、どんな言動が非常識や不愉快にあたるのかも分かりませんでした(この辺りは発達障害も大いに関係しているのかもしれませんが)。私に必要だったのは、常識と呼ばれるような知識だったのだと思います。

どんな格好をしてもいい、綺麗でなくてもいい、歯並びが悪くてもいい、外見で差別をすべきでない。それは確かに理想ですが、それらの言葉を私に送る人達が私を引っ張り上げてくれた訳ではありませんでした。私は「〇〇ちゃん」ではなく、「障がい者の〇〇ちゃん」でした。腫れ物に触るように、いやむしろ、余り触れられてもいませんでした。

私がしたことの大部分は、「行政の支援を知り、適切な治療を受けた」に該当すると思います。僅かに存在するだろう、過去の私と同じような容姿の方々が、選択肢を知った上でその格好を好きで選んでいるのなら多様性という言葉を当てはめてもいいかと思いますが、そうではない私のような人も居ると思うのです。目の前に調べられる箱があっても、その発想や単語が出てこなければ検索には引っかかりませんから。

今、自分と似たような人が交友関係に浮上し、どうしたものかと悩んでいます。私のパターンをそのまま当てはめていいのかも分からず、血迷った挙句に整形を提案しようとしたことがあるくらいです。それはしませんでしたが。彼女にこれが読まれればいいとも思いますが、同時に絶対にそれが私だと気づかれたくないとも思います。

過去の自分の写真も添付したごりぽんさんは、精神的にとても強い方なのだなと思いました。私には、外見の公開も、今のアカウントの公開もする勇気がありませんので、この記事しかないnoteの公開をもってかえさせていただきます。

かしこ

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