話したい衝動

ふと。ある人との関係の中で、何を話したらいいか頭の中でぐるぐる考えてしまっている自分に気がついた。
相手は話しやすい人だから今までそんなことなかったのに。

いつの間にか、無意識に、頭の中がそんな動きをしていた。


本当は、話したいことがないわけではなく。


ただ、今の自分の関心がとても偏っているから、そればかり話すのはダメだな(内容の種類的にも)と思った結果、何を話したらいいのかわからなくなってしまったのだ。


だから。。。なのかわからないが、たぶん最近会話自体が減少中。

もしかしたら、必要なことしか話してないかもしれない。


こういうときは、不思議と、相手が自分に話しかけなくなっている、という思い込みなのか事実なのかわからない考えが無駄に浮かんできやすかったりもする。


話したい、私の今の関心事は、とても趣味的な事。

それをひたすら、きっと誰でもいい。話が通じる人にしゃべりたい衝動に駆られている。

話したいのに、そればかり話してはダメだと感じているのは、「話されている側」の人は、どこか途中から、つまらなさや不快感を感じるだろうと思っているからだ。


「話している側」はとてもセーブしているつもりでも、客観的にみるととてもセーブされているとはいえない状態で、その事物にさほど強い関心があるわけではない「話されている側」の人は、相槌を打ちながらもちょっとした苦痛に似た感覚を持ち始める。


それは、以前、自分が「話されている側」の立場で経験したこと。


そんな過去の体験を思い出し、その時の光景を俯瞰して見れたとき。


あぁ、今はあの時と同じ状況なんだな。そして今の私はあのときの彼女の側に立っているのだな。


ということが、頭ではなく、心に、胸に、ストンと落ちてきた。


そしてその瞬間わかったのは、自分が苦痛を感じた理由が、「本当は彼女と、もっと違う、いろいろな話をしたい」と思っていたところにあったこと。

あの時の自分の本当の望みは、そこにあったということ。


ある意味では、その時の自分にとっての話したいことと、その時の彼女が話したいことが異なっていた、というただそれだけのことなのかもしれない。

たったそれだけのことで、会話が自身の欲求を満足させるための、あるいは沈黙を回避するための自己満足な言葉の羅列になっていただけなのかもしれない。


ただ、その彼女との関係は徐々に縁遠くなっていった。



話したい衝動。

それをどこで、誰に、どう発するのか。

詰まるところ、それが問題なのだと思う。

抗うことなどできないのだから、ならばせめて場所と相手のコントロールくらいはしたい。

衝動は、同じ衝動を持つコミュニティを見つけ、そこで出せばいいのだ。

自分を大事にしながら、他者とも良好な人間関係を構築するために。


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