Skoop On Somebodyとの再会
記載日:2022/6/14
私の人生において2022/6/11の神戸の夜は、2021/12/27と同じぐらい忘れられない思い出になったので、少しだけざっくりと。ライブ本編には触れない日記のようなもの。
2月の渋谷公会堂のライブ。配信で、画面越しに見た。でも、あの段階でもまだ、自分が3人のライブを観に行ける日が来るなんて信じられなかった。そもそも私にとって"3人"の音楽とトークはCDとラジオを通して聴くものであり、目の前で観るという発想が無かったから。"2人"のライブを最後に観たのも、いつだっただろうか。
当日、何だか落ち着かない気持ちで札幌のラジオ番組をタイムフリーで聴いていたら、流れてきたのは大好きな25年前の雨の曲。約1時間の番組をお供に週末のルーティンの家事を片付け、身支度を整えて雨の三宮へ。高架下、新しいお洒落なお店が多いのに何故か都そばに目が行くが、こんな時間に蕎麦食べてどうすんのよ、と誘惑を断ち切る。喫茶店、古着屋、雑貨屋と巡るものの、ソワソワして上手く時間が潰せない。ラジオで聴いた雨の曲をBGMに坂道を歩き、滅多に行かない東門街へ。
初めて足を運ぶ会場。でも、ここ数年のライブが此処で行われている事は知っていた。知っていたけれど…。
こじんまりとしているけれど、ゴージャスな造りのハコ。前方で無くてもステージまではどの席からも近い。指定されたソファ席に座り、このご時世なので控えめながらもお隣の方と少しお話をする。彼らの音楽の話と併せて、あの5人組の話でも盛り上がれる事が楽しい。
2週連続で観る人、昼と夜の両方のステージを観る人、関西の公演を全て観る人、勿論1公演だけの人。20年以上通っている人、ここ数年で通い始めた人、たまたま誘われて来た人、コロナ禍にファンとなり初めて来た人。バンドの深い部分までを愛するファンから、ライトな音楽リスナーまで。推し活なんて言葉が流行り始めたのはいつからだろう。
色んな人が色んな想いで、ほんのひととき、同じ時間を過ごす為に此処にいる。そんな中、私は…?
定刻17:30、に始まったかどうかは思い出せない。客席後方から登場する3人。ずっと半信半疑だったけど、3人が同じステージにいる。本当に観れる日が来たのだな。十数年も前からずっと聴いている曲なのに、目の前で繰り広げられる事があまりにも新鮮で落ち着かない。数曲演奏した後のトークでやっと少しリラックス。今更つっこむ事でも無いけど、なんでこんなおもろいねん、このお兄さん達。
ひとしきり爆笑した後の演奏。あまりの温度差とその勢いに鳥肌が立つ。そうだった、私は、このスタイルに惹かれたんだった。10代の頃、初めて本格的にのめりこんだ音楽は、グルーヴとメロディとハーモニーが溶け合う中で即興性も兼ね備えたこんなサウンドだった。
そういえば、最近出た新曲。共同プロデュースとして名を連ねるのは、この13年の間に聴くようになり大好きになったOvallのShingo Suzuki氏。インスタライブの内容から、彼らがOvallの音楽を好きだったが故に実現したかのようにも見えるコラボレーション。偶然、では無い事は分かっている、彼らの"好き"と私の"好き"が重複するなんて。
結局、私の感覚は彼らの音楽によって育てられている。楽器を本腰入れてやっていた訳でも無いし、饒舌に語り尽くせるような知識も無い、一介の音楽リスナー。でも、10代の頃に彼らの音楽を聴いて育ったお陰で、大人になった今でも音楽が楽しいし、多分この先もずっとそう。
この13年間、遠目ではずっと眺めていたけれど、忘れた事も無かったけれど、こんな日が来ることを本当に強く望んでいた訳ではないし待ち続けていた訳でもない。「止めないでいてくれてありがとう」も「おかえりなさい」も、言いたいし言うべきだと分かっていても、言える立場じゃない気がしてどうにもしっくりこない。
ただ、純粋に、自分の感覚を育ててくれた音楽と再会できたことが嬉しかった。大人が楽しめる場所を提供し続けてきてくれた彼らだからこそ、同じ大人としての目線で再会できたのが嬉しくて、そしてこの先もずっと私は、この場所で楽しんでいけるはず。
きっと号泣するだろうから、と思ってサコッシュに忍ばせたハンカチは出番が無かった。それぐらい、楽しい夜だった。これから何度もこんな夜を過ごせるのかと思うとワクワクする。こんな時代に大人でいることは色々と嫌になる事も多いけど、こんな時間があるなら、悪い事ばかりじゃない。
25周年、おめでとうございます。出会えて、再会できて本当に良かったです。