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ゴンドウトモヒコさんのソロアルバムが好き(Vol.5~Vol.8)

 2022年6月からスタートしたゴンドウさんの月次リリースのアルバムが、2023年5月分で12か月連続となった。2022年9月に当時リリースされていたVol.4までの好きな部分や感じた事について書いたのだが、Vol.5以降についても覚書として残しておきたい。毎月という驚異のペースにリスナーとして追い付くのも必死だが、前回から半年以上が経過し、よく聴いているものとそうでないものの差も出てきた。それでも飽きずに聴き続けている理由は何なんだろう。
 この記事ではVol.5~Vol.8についての感想を書くが、先に公式サイトのリンクを。

Vol.5【Solo Works vol.5 mostly Euphobias】

配信リンクはこちら。Spotifyの場合は以下。

 2022年10月4日リリース。収録されている楽曲は1995年~96年というまとまった時期に製作されたものであることに加えて、コンセプト面でも共通した作品が多く、最初から最後まで通して聴くのが面白い。また、前作まで使われていた【A Song without Words】ではなく【mostly Euphobias】というタイトルがついているのも特徴的だった(が、本作以降はアルバム毎に別のタイトルが付けられるようになっている)。
 アルバムタイトルよろしく、冒頭はEuphobiaシリーズ(ユーフォニアムがフィーチャーされた[Euphobia]というタイトルが付く一連の楽曲群を私は勝手にこう呼んでいる)が3曲続く。その幕開けであるM-1[Euphobia#9]は正直なところ"不穏"としか形容できず、あんなに優しかったユーフォの音色はこうもおどろおどろしいものへと変わるのか、と慄く。続くM-2[Euphobia#10]にも、Vol.4迄で柔らかさや空間の広がりのようなものを示してくれていたあの響きの面影は無い。その代わり、暗く深い水中に身を潜めて振り返るでもなく先に進むこともないような感覚を覚える。時間の前後も感じられず、ただひたすらに"現在"の音に対峙しているうちに次の曲へと移るが、実際は11分にも渡るアンビエント作品だ。そして、ラスボスのように現れるのがM-3[Euphobia±0]。私はエレクトロには明るくないのだが、インダストリアルアンビエントというのはこういう音楽のことを差すのだろうか。こちらも12分という長さだが、体感ではそれ以上に長い。M-1で感じた不穏な空気が再び現れた後なかなか消えてくれないのだ。この曲ではユーフォだけではなく、ワウミュートの効果でシャープになったフリューゲルホルン(トランペットの可能性もあるがどちらが使われているのかは分からない)の突き刺すような音色が効果的に使われている。ノイズのように降り注ぐホーンの音を浴びながら「もうこんな苦しい時間は終わってくれ…」等と願い始めたところに、かつて優しく接してくれたあのユーフォの音色が再び少しずつ近づいてくるものの、最後まで重い空気は取り払われない。こんなにも"終わってほしい"曲を12分間聴き続ける機会はそうそうないと思う。
 一連のソロワークスの中では初めての10分超えの楽曲を2曲も含む前半が終わり、M-4[God Hook Motion]が始まると空気は一変し、やっと"平穏"が訪れるように見える。この切り替わりの心地良さを味わいたくて、M-3の重苦しさに毎度耐えている自分がいる。しかし、M-5[Interlude1]の冒頭で再び怪しげな音が聴こえてくるので油断は出来ない…と思ってしまう危うさは何なのか。
 M-6[Dig Oh Took Moon]やM-7[Kingdom Ooh Too]も、痛みがスッと引いたような軽さがある。いや、軽すぎて怖いぐらい、と思ってしまうほど、何処か妙な浮遊感が残る。その奇妙さの答えは、M-8の[Euphoria]というタイトルにあるのかもしれない。Euphoriaという言葉自体はanonymassの【harusame】に収録されている[Lust](*1)の歌詞で知ったのだが、このアルバムの文脈の中では、前半の重苦しさからの解放によって生み出されてしまった不自然なほどの多幸感を表すように思えてくる。ただ、M-8の曲中で鳴るユーフォは何処か現実世界からの呼び声のようにも聴こえて、この夢か現か分からないような時間を終わらせるようにM-9[Interlude2]が置かれている。
 Euphobia(そもそもこの言葉は吉報恐怖症という意味を持つらしい)から始まり、Euphoriaへと到達した直後に現実に引き戻されたところで始まるのがラストのM-10[Left Arm of Buddha 1996]だ。anonymassの【opus 01】に収録されている[Left Arm of Buddha](*2)の原型だと推測できるが、ゴンドウさんの音楽のファンとしては馴染み深い曲が流れてくることで、やっと地に足がついて普段の生活がいつも通り始まるように感じる。因みにこれ迄のアルバム収録楽曲を聴いていても「この曲はanonymassっぽいな」と思うものが幾つかあるが(作者が同じだから当然なのだが)、この[Left Arm of Buddha 1996]はエキゾな色が強いからかあまりそうは思えず、逆にあのanonymassのバージョンに変貌を遂げたことに驚く。
 本作はVol.4までとは違い、この曲のここが好き、という部分よりも、全体の流れにフォーカスして聴いてしまう。Vol.4を聴き終わった後にさらなる「金管楽器の可能性」を期待していたら思わぬ方向から襲われたような気分だが、これもまた表現の幅であり、ぐうの音も出ないのである。

*1… anonymass [Lust] (2004年作【harusame】に収録)

*2… anonymass [Left Arm of Buddha] (2003年作【opus 01】に収録)

Vol.6【こびとづかん】

配信リンクはこちら。Spotifyの場合は以下。

 2022年11月1日リリース。なばなとしたかさんの【こびとづかん】の映像版のサウンドトラック集。
 申し訳ないことに私はあまりこびとづかんの事を知らず未だ本も映像も見ていないので、世界観をよく知らないまま聴いているが、ゴンドウさん作品の特徴の一つである"可愛いけどそれだけじゃ終わらない奇妙さ"を堪能できる1枚だと思う。こびとづかんの音楽の中にはリアレンジしてムジカピッコリーノに提供された曲もあるそう(*3)なので、同番組のサウンドトラックを聴いていればさらに楽しめそうだ。
 特に好きなのはM-5[ランドスケープ ムーヴメントワン]とM-11[ランドスケープ ムーヴメント2]。ストリングスが入り生の音が多く、壮大なのかと思いきやコンパクトなサイズ感。この2曲に限らず、コンパクトに感じる曲が多いのは、音数の少なさやダイナミクスの幅によるのだろうか。また、M-6[リトルハナガシラ]やM-7[リトルハナガシラ ファイト]を中心に、ゲーム音楽のように聴こえるものが多いのも一つの特徴だと思うが、これは映像作品のサントラならでは、なのかもしれない。
 それからM-9[クサマダアラオオコビト]とM-10[オーヒレカワコビト]のシロフォンやグロッケンの使い方も好きだが、この辺りはanonymassだったりpal'las palaceの店内BGMが好きな自分の感覚にフィットする。
 あとMETAFIVEのファンとしては、M-8[イヤシミドリバネ]に触れない訳にはいかない。METAFIVEの1stアルバム【META】収録の[Gravetrippin'](*4)には複数の元ネタ(というかバージョン違い)があるという話は以前に他のファンの方から伺った事があるのだが、これがその1つらしい。イントロから流れているシーケンスが全く同じでテンポもほぼ同じであり、[Gravetrippin']のギターソロ終盤からラストサビ前の4小節間に入っているドラムンベースっぽい打ち込みの音に似た箇所もあって、2つを続けて聴き比べると新たな発見がある。
 Vol.5までは曲を聴いた自分に見える景色や世界がどう変わるか、或いは自分の生活や感情にどう重なるか、を自然と考える事が多かったのだが、本作は自分事ではなくて他所の世界を覗いているかのような錯覚に陥った。どの曲も"こびと"の視点なのかスケールが小さい気がして、画面の中で起こっていることのようにも思える(実際、映像作品のサントラなのでこの感覚は間違ってはいないのだろうけど)。さらに言えば、前述の"ゲーム音楽っぽさ"に絡めると、自分がプレイをするのではなく他人が操作しているゲームを横で見ている感覚に近い。Vol.5では随分と自分の内面ばかりを見つめることになったが、それとは逆に別の世界の住人たちの様子を見せてくれるのも本作の魅力なのだろう。

*3…ご本人のInstgramの2022年10月25日の投稿にその旨の記載あり。
*4…METAFIVE [Gravetrippin'] (2016年作【META】収録)

Vol.7【about Boylston street】

配信リンクはこちら。Spotifyの場合は以下。

 2022年12月6日リリース。2022年リリース作のラストは、1990年代前半に制作・録音されたものがベースになっており、当時住んでいた街の名前をタイトルに冠したという作品。制作背景や当時の話は公式サイトのインタビューにおいて詳しく語られている。
 冒頭を飾るM-1[One holy night]は、重厚なユーフォのハーモニーの上に少しざらついた印象のフリューゲルが響く金管多重録音の作品。荘厳さや華やかさとは違った感触で、ホリデーシーズンに聴くには少々物憂げなようにも思う。同月24日に開催された【Gondo's Carol Brass Night 2022】ではユーフォ、トランペット(2パート)、トロンボーン、チューバ、タロガトーという編成で演奏されていたが、個性的な音色が混ざり合うアンサンブルは音源よりも立体的に聴こえた。ゴンドウさんの音楽が持つ様々な側面に触れてきたが故にこういう事を求めて良いのかは分からないが、この曲のように室内楽とは一味違う金管アンサンブル風の楽曲に特化したアルバムも聴いてみたい。
 M-2[Walking with Gremory]やM-3[Melancholia]も、M-1を引き継ぐかのようにユーフォの音色がやけに哀しい。さらにはテクノ色の強いM-4[A Fool on the Mountain]でさえ、その中心には切々と訴えるようなユーフォの響きがある。これまでのソロワークスの楽曲からはあまり感情的な部分は見えなかったし訴えかけても来ないと思っていたが、今作はどうも、淡々としたふりをして繊細な心の動きが表現されているように受け取ってしまう。タイトルからもそのような印象を受ける、M-11[inane laugh]もこの並びに挙げておきたい。
 また、本作ではこれまでの作品に比べると金管楽器、それもユーフォの使用率が高い(金管楽器の音が入っていないのは2曲しかなく、しかもそのうち1曲はディジュリドゥが鳴り響いている)。Vol.5で収録されたEuphoriaとシリーズになっているのかM-10[Euphoria#2]もあるし(制作時期とナンバリングは別物だろうか)、お馴染みEuphobiaシリーズではM-13[Euphobia#11]もある。さらに、M-6[Study#1]、M-9[Study#2]、M-12[Study#3]、M-14[Study#4]、の4曲で構成された[Study]シリーズもある。[Study]シリーズはどれもユーフォの基礎練や練習前の音出しのような音がサンプリングされた、(誤解を恐れずに言うと)"変な曲"ばかりで面白い。
 そうではない曲もあるにせよ全体として曇った印象のアルバムだった…とまとめに入ろうとしたところで、唐突に元気良く始まるラストのM-15[Dear Pino]には、何度聴いても驚かされている。未だにどう気持ちを切り替えて良いのか分からなくなるが、この曲が無ければ無いで締まらないような気もするのが不思議だ。
 同じことを繰り返してしまうが、このアルバムは、金管楽器が用いられた曲が多いことと、陰の部分が見え隠れすること、が特徴的だと思う。その理由として制作時期が関係しているのか、それとも全く別の理由なのか、そもそも理由なんて無いのか、私には分からない。いや、特徴も何も私が勝手にそう受け取っているだけだ(それは本作に限らず、他の作品も同様だが)。ただ、もし過剰な喜怒哀楽では無いリアルな人の声・心情を表しているのであれば、ユーフォやフリューゲルほど適切な楽器は無いだろう。
 ジャンルを問わず、金管楽器の、パブリックイメージでは無い方の響きにいつも惹かれる。金管楽器が好きな人間として、そして金管楽器を未だ手放せない人間として、本作は愛聴盤であると同時に憧れでもあるのだ。

Vol.8【anonymous lounge】

配信リンクはこちら。Spotifyの場合は以下。

 2023年1月3日リリース。2023年の第一弾リリースはanonymassの前身ユニット、anonymous loungeの名前がそのままタイトルになっている。当時制作されたものがそのまま収録されているのかどうかは定かではないが、その空気感が収められていることは想像できるので、当時を知らない自分にとっては聴く前から興味深い作品だった。
 リリース当日、日付が変わってすぐに再生してみると、M-1[導入か冒頭か]、M-2[LIPs Up]、M-3[a Muir]と晴れやかな曲が並ぶが、どれもanonymassを彷彿とさせるものばかりで期待を裏切らない。特にM-2はイントロのピアノからしてanonymass版の[The Left Arm of Buddha]を思い出す作りだ。変拍子(8分の5)なのが気にならないぐらいポップなのも女声ボーカルのスキャットもanonymassらしいが、中間部(2:33頃~)の少しふざけたような展開にはクスっと笑ってしまった。変拍子といえば、今これを書きながら改めて聴き返していて気付いたが、M-3も8分の6拍子と8分の5拍子が交互に来るような作りになっている。
 M-4[Coachella]やM-5[セルフオブセッション]といった、これまでのソロワークスに近い楽曲を挟みつつも、滑稽なメロディがクセになるM-6[梨の礫]では再びanonymassっぽさが見えてくる。因みにこの曲を聴いていると何故か曲名そのままのイメージではなく、(そんなシチュエーションがあるのかは知らないが)行こうと思っていた飲み屋が悉く休業日で呆然としているゴンドウさん、の絵が浮かんでくるのだが、これは一体何なんだろう…。
 続くM-7[Blessed Lull]は、ファゴット、ハープ、クラリネット、だろうか、これらのアコースティックな音色で寂し気な様子が奏でられる。晩秋の曇り空の下、枯れ葉が舞う中を一人歩くような、そんなタイミングで聴こえてきそうだ。かと思えば、次のM-8[太陽と閃き]では琉球音階が使われているからか、冬の南国で暖かな日差しを浴びた時のような、随分と大らかな気持ちになる。
 後半のハイライトともいえるM-9[Dear Material]は、恐らく現時点では2023年にリリースされた全ての音楽の中で一番と言っても過言ではないぐらい好きな曲だ。大きな展開や派手な構成はないが、シンプルなピアノのリフの上に次第にメロディ、中音域のストリングス、高音域のストリングスが重なっていく様子は、静かながらも一歩ずつ前進していく力強さを感じて、なんだか背中を押してもらえるような気がして少し涙が出そうになる(本当はそんな意図で作られた曲では無いのかもしれないが)。この曲はいつかライブで聴いてみたい。
 ラストはM-10[Ransom street]にM-11[ebb]と、幽玄なユーフォとフリューゲルの音でエンディングを迎える。M-11は2曲が1トラックになったかのような構成だが、サックスが静かに揺らめく後半部分はこのアルバムの"後書き"のように感じた。"後書き"には足音が重ねられており、最後はドアを開閉する音が聴こえる。ドアの外に出ていったのか、それともドアの内側に入っていったのか。新しい生活が始まるのか、それとも循環して同じ日々がまた始まるのか。どちらなのかははっきり提示されておらず、聴き手の判断に委ねられている。
 ゴンドウさんが関わるプロジェクトの中でもanonymassが一番好きな私にとって、本作は楽しく興味深いものだった。そして珍しく、その背景を少しだけ紐解いてみたい、という気持ちにもなった。
 現時点での話なので断言はできないが、私は、ゴンドウさんの音楽に影響をもたらした音楽、にはあまりピンと来ていない。キーワードとして挙がるジャンルやアーティストには勿論触れてはみるものの、まだその良さが理解できていないものが多い。それでもゴンドウさんの音楽に惹かれているのは、それらを背景に持ちながらも(良い意味で)ポップな形でアウトプットしてくれているからなのだろうと想像する。
 ただ、本作やanonymassに関しては、もう少しその背景について考えていきたいと思ったのだった。きっかけは、他のファンの方が本作に関してワールドスタンダード(鈴木惣一朗さん)からの影響について言及されているのを見たこと。anonymassとワールドスタンダードの関係性は少しだけ知っていたものの一度も聴いた事が無かったが、これを機に聴き始め、そしてファンになった。今年発売された新譜(*5)も良いし、鈴木惣一朗さんが言及されている音楽も興味深いので、ここからさらにリスニング体験が広がりそうなのが嬉しい。

 自分の感覚にいつ何がフィットするかは、それまでのリスニング体験の積み重ねの結果だと思っている。生で観たのに興味が湧かなかったMETAFIVEに、5年経ってから惚れた自分も居る。すぐにはピンと来なくても、様々な音楽の端々は頭の片隅に入れておきたい。

*5…ワールドスタンダードの新譜にはanonymassの山本さんが参加されており、目黒倉庫にてレコーディングされている。

Vol.5~Vol.8を聴き終えて

 この4作に関しては、Vol.1~Vol.4とは違い、曲毎よりもアルバム全体を通してどうだったか、という感想ばかりを並べたが、それぞれで魅力に感じている部分はバラバラだ。何故(これと並行して2010年代半ば以降のスピリチュアルジャズやシカゴの新興ジャズレーベルやL.A.におけるジャズとヒップホップの関わり合い等を調べようとしているような)自分がゴンドウさんの音楽を追い続けているのか、その理由を掴みたくて書いてはみたものの、未だはっきりとはしていない。むしろ、その"分からなさ"を楽しんでいる部分もある。
 Vol.9以降は、リアルタイムに起こった出来事が反映されている作品も出てくる。5/4リリースのVol.12と併せてこれらの作品についてもまた何処かで感想をまとめたい。