見出し画像

そのままの私を受け入れてくれる二人の男たち/私が今生き生きと生きられている理由

三十代も終わりが見えてきた今になって思うと、夫と結婚をした二十代半ば頃の私は、人間という生き物の本質的な部分があまりわかってはいなかったように思う。

私の夫は出会った頃からとにかく優しくて、恋愛、仕事、遊び、趣味、あらゆることに気持ちが移ろいやすく夢中に生きる私のことも、そっと見守って受け止めてくれるような人だった。

あの頃の私は、そのように優しくて知的でハンサムで、スポーツマンだった夫のことを自然に好きになった。そして数年間の交際期間を経て結婚をした。

でも三十代も終わりかけた今になって、人間という生き物の本質的な部分が、少しだけ若かりし頃に比べて見えるようになってくると、そんな私の夫の本質的なところにも目が向くようになってしまった。


私の夫は、底しれない気持ちの優しさを持って生まれて来たのだと思う。そして、厳格で自分の信念を問答無用に押し付けてくるような夫の父と、いつも大らかで温かな人柄で専業主婦の母に育てられた。

ただ私の夫はその優しさの反面、気弱といってしまえば気弱なのだ。

幼かった頃の私の夫はその気弱さから、厳格な父の押し付け的な教育方針に歯向かうのではなく、自分自身の感情を押し殺し、自分の本心、自分の心と向き合わずに生きる、という道を選んだのだと思う。
その方が圧倒的に楽だから。

そのような話を以前夫がしていたことを、今でもたまに思い出す。


私が今婚外で想いを寄せている彼に出逢うまでは、男性ってみんなそんなものなのかなあ………って思いながら、私は生きていたようなところがあった。

私自身はどちらかというと、生まれながらにして不思議と負けん気の強さ、そして謎の正義感のようなものがすでに根底にあったので、きっと私が幼少期に夫の父のような、理不尽で押し付けがましい教育をしてくるような親に育てられていたら、全力で反発し戦っていただろうな、と思う。

ただそんな私自身も夫と結婚をし、出産&子育てという人生で初めての大仕事に追われ無我夢中になったり、その他の様々なイレギュラーな事態に見舞われるうちに、体がどんどんと弱って行きそれに伴って、もともと根底にあった負けん気の強さまでもが失われ、本当の自分というものを見失いかけて行った。

それでもやっぱり私は夫のようにはなりきれなくって、自分自身の感情を見失いきれなくって、それでも強く自分らしく生きたいともがき苦しんでいたときに、彼が突然目の前に現れてくれた。

彼は、自分自身の弱い部分やどうしようもない部分、どんな自分からも逃げることなくとことん向き合って生きてきた人だから、人ともちゃんと向き合える人なんだなって私は思っている。

そして私という一筋縄ではいかない女とも、真正面から向き合い続けてくれた。

ここから先は

611字
このマガジンを購入していただけますと「メンタルよわよわだったアラフォー女が、精神的に男に頼らずとも強く生きることができるようになるまでの道のり」記事72本分をご覧いただくことができます。ノンフィクションです。

アラフォー既婚・子あり女が、結婚以来十数年ぶりに本気の恋をしました。 そうして意図せず婚外で恋に落ちてしまった相手は、noteでたまたま…

期間限定!PayPayで支払うと抽選でお得

この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?