信じることは怠惰なこと?
今日は、「信じることは、考えることを放棄した怠惰性の表れ」
ということについて考えてみたいと思います。
ヤマザキマリさんと豊田有恒さんの対談に、こう書かれていたんです。
この本の中でも言っていますが、『制服』がその代表的なものだと思います。
学生にとって『制服』は、
好きな服を着ることができない、というデメリットがある一方で
服を選ぶ手間が省ける、というメリットもあります。
しかし、これは、自分に似合う服を考えることを放棄していることになります。
そして、「『制服』を着ていれば、まあ、間違い無いだろう」と、
自分を学校に預けてしまっているとも言えます。
それを著者たちは「怠惰性の表れ」と表現しています。
そういえば、娘が高校生の時にこんなことがありました。
夏場は、自由服でよいという学校だったのですが、
娘は、自由服だからと、上下ともジャージを着て行ったんですね。
そうすると、「ジャージはダメだ」と、先生たちに咎められたのです。
「なぜジャージはダメなのか?」と先生に聞いても
「ダメでしょ」と言うだけで、ダメな理由を説明してくれないのです。
「教員に対するリスペクトがない」とでも思われたのか?
それとも、「ジャージはだらしない格好だ」という先入観があるのか?
学校側の考えを聞きたかったのですが、最後まで説明がなかったのです。
説明することを面倒だと考えたのだとしたら、それは学校側の怠惰性の表れですよね。
結局、娘は、ジャージでの登校を貫きました。
それが、「楽な服装だから」というのが娘の言い分でした。
学校の規則を守っていれば大丈夫、とか
先生の言うことは絶対だ、と盲信することは
考えることを放棄していることになり、
それが怠惰なことなのです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?