オッペンハイマーは何を語ったか

スマホからしか感想を書けないのが非常に残念である。昔手書きの作文が大嫌いだったのを思い出す。それよりはマシだが。

ノーランの語り口は、価値観を揺さぶるところにある。インセプションでは、夢と現実の境目を。インターステラーでは、時空を超えた愛を。テネットでは時間の認識そのものを。

今回のオッペンハイマーについて、テーマは絞られていなかったように思う。インセプションを夢泥棒、インターステラーを宇宙恋慕、テネットを時間警察などと表現することは可能でも、オッペンハイマーは何と形容していいか思いつかない。

いつもどおりの揺さぶりの構成はあった。時間、記憶、恋愛、価値、正義、嫉妬、政治、権力。様々な二文字漢字が浮かんでは消え、5分前と違った意味合いを持って現れたりした。登場人物は基本的には科学者とその周りの人たちである。タイトルのオッペンハイマーそのものが科学者だ。

だからこの映画は科学者の物語だ、と形容するのはあまりにも浅慮だ。科学そのものは記号でしかなく、それが重要だとは描かれない。これは先程あげた3作品もそうだ。本作はSFものともドキュメンタリーとも取れる。サスペンスともラブコメディとも取れる。

ファスト映画なるものが流行る中、3時間の上映時間。百人いれば、百人が違うところに注目しそうだと思えた。だからこの作品の語りが何を意味するかといえば、運命、共感とも言えるかもしれない。作品というアトラクションを通して、同じような思いや感想を共有する仲間を探す。あるいは、全く違う感想を抱く者同士が、語りあうことによって一つになっていく。そのような工程が狙いとして織り込まれているのではないか。

描きたいものが明確であったり、意味するところが明確であることはある種の美徳である。共有しやすく、コミュニケーションの齟齬を産まない。だが最初から難解で、皆が違うことを思いそうだと思えるものであれば、語り合うことの意味、齟齬を乗り越える価値が生まれるのではないだろうか。少なくとも私は、オッペンハイマーという作品について、一つの答えも見いだせていない。だがこの作品は語りたくなるのだ。誰かに、何処かで、自分の拾ったピースがハマることを期待してしまうのだ。この映画が無事日本で上映となったことに感謝しつつ、皆がこの映画に興味を持ってもらえたらと願い、締めようと思う。是非友達や恋人、家族と見に行ってほしい。居ない奴はインターネットに感想をぶち撒けてくれ。

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