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読書録「私は忘れない」

舞台は高度成長期、東京で女優を志す万里子が、ひょんなことから鹿児島県の離島・黒島に滞在することになる。しかし海が荒れて帰りの船が来ない。思いがけない長逗留になっている間に激しい嵐が島を襲う。厳しくも豊かな自然の中で、そこに暮らす人々との交流を描く。都会っ子だった万里子が、島の懸命な生き方を目の当たりにして、人としての強さを知っていく。

「私は忘れない」有吉佐和子 新潮社(1969.11.5)

昨年末、三島村に行く機会があった。三島村には3つの島がある。黒島・硫黄島・竹島だ。せっかくなので関係する本を読もうと思った。図書館で予約して受け取った時は、本がかなり古びていたのでちょっと驚いた。ヨレて破れた所が丁寧に補修されている。多くの人が手にしたであろう事が分かる。ふちが黄ばんで経年を感じさせるけれど、カビやほこりっぽくもなく、きちんと保管されていた感じ。いい雰囲気を出している。

昭和の風俗や価値観などもおもしろかった。
主人公の万里子は21歳なのだが、着物の帯が結べないと言うと「それで女優のつもりか」とカメラマンに思われる。この時代、女優は帯くらい自分で結べるのが常識だったんだ…。
活発な万里子に、周囲が「なんと大胆な娘さんだ」と驚いたり。
島に赴任するために船に同乗した若手の教員・赤間君雄も、純朴な青年でいい味を出している。ほのかな恋心を抱き、海に向かって「万里子さアん」と叫んだり。
美しい海、時計草のジュース、そして島で採れる魚介がとてもおいしそう。
黒島は平家の落人伝説がある。大里と片泊というふたつの港があり、公家は大里、勢子は片泊にそれぞれ住み着いたらしい。
開発の手が入る以前の島の様子が細かく描かれて興味深い。
嵐の激しさと、島を守るために奔走する教員たちと村人の働き。
努力して築き上げたものが一瞬で流されてしまう厳しい現実。
それでも誰も助けてはくれない。自分たちでなんとかするしかない。
そうやってまたひとつひとつ積み上げていく。
苦難を共にすることで人々は深く結びつく。物語の終盤で運動会が行われるが、まるで祭りのように晴れやかで、和やかに集い全員で踊るシーンにじんわりと胸があたたかくなる。
登場する年配の男たちが、戦争に行った世代だというのにもハッとした。
若い万里子の成長もさわやかで、読後感がよかった。

本文より

岸壁と、波と、かごを背負った女の黒い顔を、きちっと纏めた写真が表紙だった。横に、大きく「忘れられた島」ーという活字が躍っていた。

このどうしようもない失望から立ち直るためには、そのくらい思いきった旅行をしてもいい。

そこでなにより素晴らしかったのは、塩ゆでにしてめざめるように赤くなった伊勢海老が数匹、銘々の前の竹籠にかざられていたことである。

悪い時には悪いことが重なる…山の畠が荒れたときは海の獲物もとれないのだ。

毅然とした答えであったが、若い万里子や君雄の耳には、ひどく古風なセクト主義に聞こえた。

島の天災や急病には、その場でいくら金があっても、なんの役にもたたないのです

否、辺地教育者は、その死さえも人目に立たずに葬り去られるだろう。

男尊女卑の風が残っている鹿児島県下だから、ここへ来てから万里子は新湯につかったことがなかった。

島を忘れないでいて下さい。日本の中に、こんなところのあることを、一人でも都会の人が覚えていてくれたら、それがどれだけ私たちの励ましになるか分からないのです。

あしたよなア、万里子さん

赤間君雄は、いつまでもいつまでも、第二みゆき丸の消えた方角を見詰めていた。彼はやがて草履を脱ぎ捨てると、ズボンを膝の上までたくしあげ、ざぶざぶと海の中に入っていった。両手を口にあてて、彼は海に向って大声で叫んだ。
「万里子さアん、万里子さアん」

見て来たことで、云わねばならないことがあったら、云うのは正しい事です。

それにしても万里子の走り書きは曲がなさすぎた。

まず、誰も滅多に訪れることのない島での出来ごとは、島の者がどう叫んだところで、耳を貸す本土の人間はいない。

あの自然と闘い、貧しい生活と闘い、一生懸命で生きている人たちのことが、本当に力強く思い出されてきました。

そして現在の私は、この仕事を一生懸命にやり続けようと思うようになっています。黒島で、風の日、雨の日に、働きまわったときのように。

私は今、私のために、黒島を忘れるまいと思っています。歯車がギリギリギリと音をたてて廻っているような都会で、コンベアに乗せられてスルスルスルと時間を空費してしまいそうな気のいい若者たち、みんなが島を忘れずにいれば、きっと私たちは間違いを起こさずにすむと思います。

私も、与えられた仕事を、一生懸命やることで、運命を切り拓こうと、ようやく考え始めましたと、そうお伝え下さい。

「あしたよな」は別れのときの言葉。よい響き。


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