野蛮なハロー 2024.3.2
野蛮なハローのライブを観に盛岡へ。別用は無し。
去年演劇ユニットせのびの公演で知って以来、好きなバンド。「行きたかった」みたいなことを伝えるだけの応援では意味がないから、展示でも公演でも行けるときは行くことにしている(行けないときは情報拡散)。
ライブはとてもよかった。メンバーの演奏力があるからライブ向き。サポートメンバー?なのかな、素人にもわかるくらいにドラムの方が上手い。
全く知らなかったけど、ボーカルの小松くんは春から盛岡を離れるらしいのでなおさら来てよかった。
隣県から観に来る奴が何を言うのかって感じだけど、僕は普段、音楽を聴かない。今週たまたま2度もライブハウスに足を運んだけど、それが人生の3度目と4度目ってくらいに日常に音楽はない。
花の作品製作中だけいくつかの決まった音楽を聴く程度。ジャンクフードをできるだけ避けるように、体に入れたくない音や言葉が聞こえてくることを避けている。「わ、ダサ」とラジオを切ることもある。
野蛮なハローの楽曲は、そんな僕にとっても心地よく、良い意味で聴き流せる「強く奏でられた無音」のような印象がある。美しいサウンドとメロディに時折忍ばせるソリッドな部分も嫌らしくない。強みであり、おそらくは弱みでもある土笛のような繊細な質感のボーカルも楽曲に合っていて、楽しみな伸びしろだと感じている。外柔内剛が滲む彼自身の雰囲気も好感が持てる。
各種ビジュアルはモノクロや淡いブルーを基調としていて、ライブの照明も青い。水を感じさせる歌詞も多く、バンドにも楽曲にも雪どけ水や冬の海のような緑がかった青みを感じる。その水は掬いとれば透明で、光やこちらの視線がそれを青に見せている。
青く見える透明、奏でられた無音。聴くことで聞こえて、観ることで見える。
そういえば初めて小松くんを観たときに役者として舞台にいた彼は、役どころも含めて、ずっと舞台上にいるような、そこには実際いないような不思議な存在感だった。
新たな地での表現も追いたいと思う。