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朗読劇『エダニク』感想

 11月27日〜30日まで座高円寺2で行われた朗読劇『エダニク』の感想です。
ネタバレを含む主観的感想文ですので、本編が気になる方は千秋楽の配信やDVDをご覧ください。

はじめに

 なんだかんだで人生初の朗読劇。演劇という媒体における朗読劇の立ち位置がよく分かっていないまま会場へ向かった。
 舞台上には3脚のパイプ椅子。その側に小さなテーブルとストローの刺さったマグカップが等間隔に並んでいる。セット後方は無機質な格子状の窓?と太いパイプ。手描きのタッチが陰湿な雰囲気で良い感触。地下にある劇場まで、人気のない入り口から階段をぐるぐる降りたのも相乗効果になっていたのかも。

ストーリーについて

 屠畜場を舞台に、そこで働く沢村と玄田、畜産業者の伊舞の会話劇である。
 今作は回ごとに演者と配役の組み合わせが入れ替わるシステム。お目当ての新木さんは全員の役を演じるということで、私はとりあえず三公演観ることにした。
 勝手にサイコホラーだと思って見始めたので、途中で玄田が延髄を持ち帰ってきたシーンで、「あ、あれは柳さんの身体のどっかの部位だ…」とか思ってしまった。そんなことなかった。ややコメディ寄りであることに気づいてオープニングの曲に合点がいった。
 オープニングとエンディングで使用される曲は映画『underground』のサントラ。
観劇後に思い返すと、チグハグな疾走感が今作にぴったりだと思った。可笑しさと猟奇の狭間を千鳥足で歩いてるみたいな作風が共通してるように思う。最高の選曲。

朗読劇について

 朗読劇という表現方法については結局よく分からなかった。本を覚えて挑むことも出来るんだろうけど、それならストレート芝居になるし、何も動かないとドラマトラックみたいになるし。
 今作は人が入れ替わるからこそ、こなれ感が出難くなっていたけど、何公演も同じキャストでやったとして、演じる側は飽きないのかな。
 新木さんは朗読劇を「演劇の中でも歴史の浅い分野」とパンフに書いていたけど、私は原始的なものを感じた。
各セクションで携わる人間が、原点に立ち返って、演劇という媒体について実験する場所なんだと思う。観客は想像力で補いながら、その荒削りさを嗜む。という趣向なのかなぁ。あとは作品をメタ的に見たい時にも良いのかもしれない。今後は他の朗読劇と比較していきたいな。

『エダニク』という言葉について

 タイトルになっているのに作中では触れられない「枝肉(えだにく)」という言葉。屠畜の際に使う言葉で“頭部、尾、四肢端を切り取り、皮、内臓を取り除いた状態の肉”を指すらしい。大きな骨は付いたままの状態にして、いろいろな基準をもとに等級を決めるそうだ。作中で沢村・玄田が行なっているのが動物を枝肉に加工する仕事である。

 物語の舞台となっているのは、ベテランの職人が大量に解雇された屠殺場。家庭の事情を汲んで雇用形態を変えて雇い続けている柳がいるにせよ、リストラされた人たちにだって生活はある。必要な部分を残して選別する会社の運営は、枝肉にする工程に似てるのかもしれない。
 取引先である伊舞の「会社として正常に機能しているようには思えないから、撤退したい」という主張も、どんなブランド品であれ加工された後の状態で品質が悪ければ値踏みされる枝肉に通じるものがある。
 沢村の「屠殺に慣れすぎてはいけないが、自分にはこの仕事で養っている家族がある」という状況は、今の社会の「動物を殺すのは可哀想だけど、肉は食べたい」という食肉への煮え切らないジレンマに似ている。
 会社の構造を枝肉(あるいは枝肉を作る工程)に準えているのが今作の鍵なんじゃないか。
 ちなみに、食肉に関していろんな意見があるのは知ってるけど、今の私にできるのは、美味しく残さずいただくこと。なんにせよ他人の考え方とか選択に介入できるほどの万能感は持たない方がいいと思う。

各回の感想

28日ソワレ

 猪野さんの演じる伊舞が絶妙に腹立つ(褒め言葉)のが、後半の畳み掛けにかけて効いてくる。自我が無さすぎて全ての人付き合いが浅いところで止まってそうな若者だった。浮世離れしたサイコパスっぽさも絶妙。
 伊藤さんの沢村は安定感があった。苦労人顔(褒め言葉)なので中間に挟まれる生真面目さが合っていた。エリートっぽい格好も似合うと思うけど、高卒叩き上げの役もしっくりくる。後半の家族の為に取り乱すところは一番説得力があった。
 初見の公演ということもあり、新木さんの玄田は年齢不詳だった。話す時の言葉尻などで徐々に中年くらいかな?と分かってきた。ご自分でもよくおっしゃっているけど、ビジュアルが若すぎるのでね。噛み噛みの台詞は、親戚の集まりでクダを巻くおじさんっぽくて、なぜかリアリティに加担していた。それも計算の内なのかな…どうなんだろう…多分違うな。

29日マチネ

 この公演は伊藤さんが伊舞役。初見での沢村役が適役だったからか、伊藤さんの伊舞はニートというより派遣の雇止めでハロワに通ってそうな感じだった。この伊舞なら各種保険に詳しいし年金も税金も自分で払ってる。
なんて言われたか忘れちゃったけど、その辺をなだぎさんにイジられていて面白かった。
 沢村役は新木さん。声のトーンや抑揚からは33歳という年齢設定は掴めた。が、真顔に戻った瞬間に顔の皺がつる〜んと消えるので親近感が湧かない。双眼鏡で見てると脳が追いつかないほどに。贔屓目は多分にあるんだろうけど、彼は美しすぎるんです。
とはいえ、箱入り息子がひょんなことから社会の荒波に揉まれる大航海に出たのかなとか勝手な想像で埋めていたので結果オーライ。
 なだぎさんご自身に荒っぽいイメージが無かったけど、玄田はぴったりだった。これぞ大阪のおっちゃんって感じ。知らんけど。一人立ち飲み屋の隅で手酌してそうな哀愁まである。
この回は正直、配役にやや無理があったように思う一方、なだぎさんが加わることで、アドリブが重なり遊び要素が増えていた。
 ともすると台本と睨めっこになりがちなシーンも、なだぎさんが顔をあげて他の2人を弄り出すので、演者が自然と顔を見合わせ、全体を通して表情やジェスチャーの割合が増えてくる。そうすることで、舞台上の構成要素は変則的にパーセンテージが動いていく。その様はとても興味深い。
 アドリブによって会場から拍手と笑い声が漏れ、客席と壇上の境界も甘くなる緩さもまた良い空間だった。小劇場ならではの温かみもあった。

29日ソワレ

 新木さん唯一の伊舞回。猪野さんの「誰とも衝突しないけど何を言っても暖簾に腕押し」というリアルな現代の若者に対し、新木さんはフィクションの中に描かれる若者像としての安定感があった。
どちらも伊舞も適役だったけど、個人的には新木さんの方がファンタジーと割り切れるので、玄田を煽り散らかすアドリブも安心して見れた。猪野さんはサイコ味が強くてちょっと怖い(褒め言葉)。
 新木さんのボケは正真正銘のど天然な時以外は細切れの小ボケが多いので、丁寧に拾ってくれる芸人さんとの相性が良い。なだぎさん…ありがとう…
 伊藤さんの沢村を拝見するのは2回目。うん。やっぱりこの苦労人気質が沢村に合っている(褒め言葉)。
 なだぎさんの玄田も相変わらず良い。アドリブが多過ぎて多分5分以上は延びてたけど、終始楽しかった。

最後に

 想像していたよりも長い感想になってしまった。先日明治座で観た『赤髭』も良かったけど、正直こちらの方が命について考えさせられた。
 今回の公演はコメディタッチになっていたけど、他の役者さんが演じるのも観てみたい。

 ここまでの長乱文、ご覧いただきありがとうございました。

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