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『オイディプス王』感想

※文中に演出のネタバレを含みます。
まだご覧になってない方はお気をつけください。
かなり主観的な感想になりますので、今作のことを知りたい場合は、公式サイトやパンフレットをご参照ください。

全体の感想
 圧巻の一言。これが悲劇ってやつか〜。
話の骨子は知っていたけど、それはただ情報として処理していたに過ぎなくて、登場人物の人生を再現する、演劇という媒体の面白さが深まった。
 台詞は少しずつ内容を更新しながら何度も繰り返され、パイプオルガンのように劇場を包んでいく。(一方で呪詛のように登場人物と観客を飲み込んでいく。)
 コロスが1人また1人と枝を手に出てくる静かな始まりから、1人取り残されたオイディプスが両手で戸を開け放つように終わるまで毎秒迫力があった。
立体的だなぁと思ったけど、それは演者の力が舞台からこちらへ押し出て、私を引き寄せていたからかな。

主演の三浦涼介さんについて
 三浦さんの演技を観たのは、恥ずかしながら初めて。出てきてすぐに目がサーチライトみたいだなと感じた。隈なく照らそうとするからこそ影を濃くするような目。
 発せられた言葉は仰々しい中に暖かみが混ざる。初見でこんなこと言うのもあれだけど、三浦さんだからそうなったのかなって。
 三浦さんのオイディプスは間違いなくカリスマ性というか王としての素質がある。抗えない預言に際して自己憐憫に浸ることなく、真実にこだわり、過去を抉りとっていく姿にさえ覇気がある。その鋭い眼光に晒したのは己の姿でもあり、周囲を巻き込んで焼き切れ、最後は自分の手で物理的に目を潰す。オイディプスの自傷的とも言える欲望は古代からあったのか。その渇望はどこから来るんだろうか。
 一瞬たりとも怯まないオイディプスは人間の極端な部分を濃縮したような苛烈さだった。身近な存在ではないはずなのに人間味がある。
 カテコの時、悪戯っぽい笑顔でイオカステの手を引いていくオイディプスを見て、物語の愚直さに堪えていたと気づいた。(愚かという字を使うのは申し訳ないんだけども登場人物皆あまりに正直なので)

大空ゆうひさんのイオカステについて
 イオカステは上辺の平穏と真実を秤にかけていたんだろうな。彼女の真実を押し殺しても平穏をとる選択は、逃避ではなく覚悟。イオカステはオイディプスを想って(幼い子供たちのことも頭にあっただろうし)真実に蓋をしようとした、ということか。オイディプスとは違うベクトルで強いな。
 オイディプスの母としての愛、妻としての愛、オイディプスとの子供たちの母としての愛、王妃としての国民への愛、慈しみと憂いを同居させたイオカステに死を選ばせたのはどの愛だったんだろう。
イオカステに限らず、誰一人として身勝手で動いてないのよね。欲には忠実なんだけど。

コロスについて
 コロスたちの存在感は最適としか言いようがない。アフトで石丸さんが、「一人一人が一市民であり、群衆である」みたいなことをおっしゃっていて、それは言葉にされる前から感じられた。
 王の存在が国そのものであるから、オイディプスの慟哭は国の断末魔として国民を苛む。1人の嘆きが同時多発的に起きて狼狽する群衆が出来上がる。「この人はパン屋さんでこの人は八百屋さん」みたいな役割とは違い、おおよその年齢と性別くらいしか情報が与えられていないからこそのリアリティだったと思う。

新木宏典さんのクレオンについて
 クレオンが疑いをかけられるシーンは、生々しい表情が見られて良かった。彼はカリカチュアされたキャラクターではなくてこの世に生きる人間だった。
 新木さんの表情の移ろいは、スフマートの様で美しい。劇画調の物語において素晴らしい存在感だった。出来ることならずっと観ていたい。
 その時の印象があるから、クレオンが政治的な役割を全うすることに迷いがないとしても、冷徹な人間ではないと分かる。だからオイディプスに対しての「もう充分嘆いただろ」みたいなセリフすら慈悲が滲む。
もし文字で書かれた同じ台詞を見て、私はそう解釈できたかな…やっぱり新木さんがそう演じたからだな。
 迷いが無いからこそ王族としては適任なんだけど、観ているこちらはオイディプスの荒れ狂う有様を目の当たりにして、(当時としては)常識人のクレオンをどこまで信じていいものか分からなくなっちゃう。私はいつの間にかコロスの一員になっていたのか。そうなのか。赤いピラピラのついた枝をください。
 ものすごく対象的な人物像も、お二人が演じるが故に対立している感が無い。
王と摂政、甥と叔父、義兄と義弟、どの関係性をとっても互いの態度に齟齬がない。
 あと新木さんと子役の組み合わせからしか得られない栄養があるので今後も是非。

総評
 古典作品ってもっと様式美みたいなものを予習しなきゃいけないという先入観があったから、こんなに人間性剥き出しの塊を受け取ることになるとは思わなかった。神託を受けて生きていた時代の人のことなんて傀儡程度に考えてたので。
 人間が追い求める「真・善・美」が詰まっていた。(さながらピーマンの肉詰めの如く)
「真」を求め、揺るがない「善」を持つオイディプスの物語を、悲劇という形で「美」(芸術)に昇華する人間の強さを体験できた。
古典作品ってすごい。人間ってすごい。芸術はどれだけ突き詰めても人の居場所を奪うことなく、常に次の可能性を提示してくれる。こんなに嬉しいことはない。
 連綿と紡がれてきた普遍的な主題と、今を生きる役者さんの相乗効果が本当に良かった。そして極限の果てを追い求めた石丸さんにも最大の敬意を。
兵庫公演の成功をゼウスに祈っております。

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