#197 あたらしい私へ24
こんばんは。ユニークさ開発ナビゲーター 青木 瑞恵です。
1年が経ったのを思い出した、お話。
て、書いていたのに、寝落ちして、全消えした😭
ということで、書き直し・・・(^◇^;)
満開の桜🌸を見ながら思い出したのです。
1年経ったのだ、ということを。
いろいろ挑戦してきた1年でした。
その挑戦のひとつの、おわり、2021年2月末に疲れて、
スイッチをOFFにしてました。
そして先週3月22日(月)、スイッチをONに切り替えたのですが。
いつもの散歩道を歩きながら、、、
去年2020年3月23日(月)わたしは日本に戻ってきたな、と。
前の日本本社から戻れ、と言われたのです。
3月19日くらいでした。
が、あらゆる会社が操業を停めていて、外出も禁止されてて、何ができるというのでしょう。
帰るときも実はハラハラとしたもんです。
ちょうど世界的に飛行機の運航を停止していた時期。
私は、その日、会社のドライバーさんに連れられてニノイアキノ国際空港に到着しました。
※ 公共の乗り物は禁止されていたのです。
なんとその日からANAは全便停止に。
JALも羽田便は欠航。
私の飛行機はJAL成田便でしたので、唯一乗れる便でした。
情報がないので、着いてから、ドライバーさんとヤキモキしました。
空港は、キャンセル返金を要求するお客さまでごった返してました。
現地での対応しか受けつけない、と、ネット上では公にされていました。
成田に到着して、日本の寒さに震えていました。
フィリピンは、冬がないので。
翌日から出社です。
フィリピンのことをリモートワークしていました。
本社のビルで。
まだ、緊急事態宣言出てなく、ふつうに出勤してた時期。
フィリピンの会社の最悪な経営を正常な運転しようとがんばってたり、
パワハラ社長とみえないところでの闘いがあったり。
いろいろと辛くて。
絶望感を感じながら、本社ビルの窓から、桜が散っているのを見おろしていました。
その後4月末でその会社からは解雇を言い渡され、
実家の愛媛に戻ってきたのでした。
ずっと挑戦してきた1年でした。
コロナで、痛い想いをしたひと、
なんの影響もなかったひと、いるでしょう。
でも、想います。
痛みがあるからこそ、自分がほんとにしたいことに、向き合えるんだろうと。
痛いのは嫌なんですけどね。
特集企画『あたらしい私へ』使えるのは、3月いっぱいまで。
最後、3日間使い切っていきます!
最後まで読んでいただき、ありがとうございました🍃
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