①初めに今回は生存確認も兼ねて、今までとは少し違って、土石流当日のことを書き殴った文章を公開する。書き殴っただけなので、文章がおかしいとこもあるかもしれませんが、大目に見てください。 ②書き殴った文章もう5メートル先には生きている土砂が、まるで感情を持ち、怒り狂ったように迫り来る土砂が迫っていた。 僕は土石流の話を聞いて、様子を見に行こうとした。だが止められた。自宅にはまだ母親と祖母が残っていたので自宅へ戻った。 自宅前の駐車場に母親はいた。祖母を助けようとした。土砂が5メ
随分とサボってしまって申し訳ありません。これには理由があって、今まで記憶を掘り返すのに使っていたGoogleマップのロケーション履歴が、消えてしまいました。なので、これからはほとんど投稿しません。投稿すると言えば、記憶のみが頼りになってしまうので、時系列がバラバラ、または盛った話をするかもしれません(逆も然り)。これから書くことの本当の時系列には読者さんは分からないと思いますし、本来はどれくらいの話なのかもわからないですが、念の為ここでお知らせさせていただきます。そして、土石
1.はじめに画像等の仕様につきましては、災害当日の記事へ。 2.7/20この日から、第2の避難先となる熱海金城館での生活が始まりました。 3.7/24この日は、電車を使って小田原方面へ。その時に東海道本線高架から見下ろすような形で撮った写真がこちら。 東海道本線高架から新幹線高架の短い間しかないですが、右の壁を見てみると本当に高い場所まで土砂が積もっていたことが分かります。 そしてこの日は、初めて日中にビーチラインを通った日です。その時に撮った伊豆山港の付近の写真がこ
1.はじめに画像の使用等につきましては、「伊豆山土石流災害当日」を見てくださると幸いです。 これからは、区切りとしては ・第1の避難先 ・第2の避難先(前編・後編) ・第3の避難先 ・現在の住まい の予定でいます。 あと飛んでいるところは、何も無かった日です。 この記事においては ホテル=本来の避難先であるニューフジヤホテル 避難先=私たち一家が避難していた父の勤めているホテル です。 2.発災翌日(7/04)発災翌日は、早速土石流があったところを見に
1.はじめにこの写真は、全て(何も書いていない限り)私が撮ったものであり、私が撮ったものでは無い場合は、引用元などを書きます。そしてこのことは、メディアにもネットにも出すのは初めての情報です。画像などを使用したい場合は、コメントに自分の身分、用途、新聞やテレビでしたらいつのどの会社に載るか、テレビならばどの番組かを教えてください。ネット記事ならば、そのサイトや、いつ掲載するかを教えてください。(新聞もテレビもネット記事も、全てわかっていればでいいので、強制はしませんが、出来れ
初めまして。私は碧葉(あおば)と申します。(本名とは1ミリも掠ってません) いきなり話が重くなりますが、私は忘れては行けない2021/7/3の伊豆さんの土石流災害の被災者です。ちなみに私はまだ義務教育を終えていない子供です。これからは伊豆山の土石流災害について語っていこうと思います。当時の記憶が薄れて曖昧になる前に、自分のためにも、他の方に向けても、ノート代わりで書いていきます。 まず私は、この災害にて、産まれてから今までずっと住んできた伊豆山の自宅をなくしました。そして