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【TXT】물수제비(Skipping Stones) 歌詞の和訳と詩の解釈 ─メタファーから明らかになる謎

5人全員がアルバムのなかで一番好きな曲だと言っていた『물수제비ムルスジェビ(Skipping Stones)』。『Tiny Desk Korea』のミニライブもこの曲からスタートしています。

ボムギュのギター、ヒュニンカイのベースとともにハンリムズ(年下組3人はハンリム高校出身)の3人が奏でる、1番だけのショートバージョンもとても素敵。

どこか、学校の軽音部の友達が「こんな曲作ったんだ。聞いてみてよ」って送ってくれたかのような、音楽への熱量や温かさ、素朴さが伝わってくるようで心がギュッとなります。最後のメッセージが全モアを泣かせますね。

─ 初めてこの曲を知ったという方のために ─
물수제비ムルスジェビ(Skipping Stones)とは、↑上のハンリムズ 動画 の最後にボムギュとテヒョンが行っているように、水辺で石を投げて水面に石をジャンプさせる ”水切り/石切り” 遊びを指す言葉です。

この曲についてヨンジュンは、最初は戸惑ったけれど、聴くうちに曲の感情がわかってきて、すごく愛おしい曲になったとビハインドで話していましたね。そしてテヒョンは、この曲にはたくさんの意味があると、意味深な発言もしていました。

実はこの曲、隠されていた物語を知ると意訳など不要なんだとわかります。ただし、初見だと直訳のままでは戸惑う部分が多いため、少しだけ意訳を試みました。


물수제비 Skipping Stones

Produce: 한로로, 진동욱
Songwriting: 한로로, 진동욱, Maiz, Revin
THE NAME CHAPTER: FREEFALL収録(2023.10)


僕らは静かな川の水面みなも
ねていく石投げ遊びが大好きだ
思い通りにはいかないけれど
それでもまた石を握るんだ

君はどんな気持ちで
自分の痛みを投げこむんだろう
さざ波を立てた幾つもの感情が
君の湖に満ちていくけれど

傷を飲み込んだ水は、いつか静まり
ふところも大きくなるだろうから
指先にくすぶっている未練を放り投げて
いつものように、いつもそうしてきたように

いつものように、いつもそうしてきたように
いつものように、いつもそうしてきたように

毎日、揺れ動く心
心の底には沈んだ痛みだけ
それでもため息をつく君と僕は
あの海へ向かっていくけれど

傷を飲み込んだ水は、いつか静まり
懐も大きくなるだろうから
指先にくすぶっている未練を放り投げて
いつものように、いつもそうしてきたように

胸いっぱいにこみあげる今日の君を
明日の僕が抱きしめられるように
きらめく波の上にたどり着いたら
ふるえる両手を握ってあげるから

傷を飲み込んだ水は、いつか静まり
懐も大きくなるだろうから
指先にくすぶっている未練を放り投げて
いつものように、いつもそうしてきたように

いつものように、いつもそうしてきたように
いつものように、いつもそうしてきたように



歌詞が伝えるメッセージとは

歌詞のメッセージについては、『Dreamer』の和訳記事でもふれた  Forbes のインタビューで、ヒュニンカイがこんな風に答えてくれています。

「Skipping Stones」も共感できる素晴らしい曲で、逆境に直面しても強く生きようと歌っています。この曲では、自分の心の混乱を、石が飛び跳ねて波打つ水面にたとえています。心の動揺が不安定な感情の波を生み出しますが、石を飛ばした後と同じように、やがて水面は静まっていきます。この曲の、飾らないサウンドにのせた情感豊かな表現が大好きです。

こうしたインタビューを読んでいつも感動するのは、彼らが曲のエッセンスについてはふれるけれど、詳細については語らないというところです。
以前に別のメディアで聞き手から答えを求められた時も、「タネあかしをしてしまったら面白くないでしょう」とテヒョンが答えていました。

歌詞を読んで、読み手が自由にイメージの翼を広げたり、テーマやメッセージについて自分なりに考えてみる。そんな余白を残しておいてくれるところが素敵だなと感じます。

さて。”逆境を強く生きる”というと、辛いことがあってもガマンしなきゃいけないの?と思いがちですが、ヒュニンカイが言いたかったこと、この歌が伝えようとしているのは、こういうことじゃないかと。

痛みを抱えたとしても、受け入れる自分の心もそのうち広く、深く、懐が大きくなっていくだろうから、自分を信じて、傷を心に投げてみよう。投げている間は辛くても、そうやっていつも乗り越えてきたように。

ここでの傷を心に投げるというのは─
◎時間薬で自然に心の痛みが消えていくのを待つこと
◎痛みが大きかったり、いつまでも長引く時には、振り返って「何がいちばん辛かったの?」と自分自身に投げかけ、「あの時、本当は寂しかったんだね、悲しかったんだね」と心のざわめきをありのままに受け入れて、自分をいたわる時間を持つこと
その両方を、指しているのではないかなぁと受け取りました。

『Can't You See Me?』へのタイムトラベル

さてさて。動揺した心が飛び跳ねたり、さざ波をつくった後、たくさんの感情が君の湖を埋めていく。なんだか不思議な表現だと思いませんか。

숱한 감정들이 네 호수를 채워 가는데
たくさんの 感情たちが 君の 湖を 埋めて いくけれど

ここで添えているのは直訳です。

不思議といえば、先にあげたハンリムズの動画も。最初に映されるヒュニンカイ、ボムギュ、テヒョンの姿や、演奏後にテヒョンとボムギュが水切り遊びをする場面、さらにふたりの前後に一瞬差し込まれる、昔のテレビで見た”砂嵐”のようなカットは、画面が全体にザラザラしていて解像度が荒く、なんだかレトロなホームビデオで撮影したかのようです。

そういえば『Growing Pain』では『Blue Hour』、『Dreamer』では『Maze in the Mirror』、『Deep Down』では『Crown 』など、それぞれ曲の中で過去をふりかえる場面がありました。

どうやら、「この曲も過去へのタイムトラベルなんだよ」と3人がこっそり教えてくれているようです。

そこでふと、思い浮かぶのが『Can't You See Me?』のMVです。

スビンの家に集まった5人は中盤、トマト投げを始めますよね。最初はほんの少し、ジャムを飛ばすことから始まったおふざけが、次第に激しいトマトの投げ合いへとエスカレートし、いつの間にか、投げたトマトが部屋の床を埋めつくしています。ヨンジュンがトマトの破片や果汁がへばりついた両手を見つめている場面もありました。

歌詞の内容やMVでの5人の不穏な様子から、おそらく、あのトマトは、5人がそれぞれに抱えていた葛藤の象徴だったのでしょう。

そうした文脈から、さざ波を立てた石や投げたトマトに置き換えた心の痛みが、湖(心)を埋めていくと表現したのではないでしょうか。

「Can't You See Me?」 については書きたいことがたくさんあるのですが、長くなってしまうため、また改めて、まとめてみたいと思います。

君と僕が海へ向かった理由

2番になると、”君と僕は海へ向かう”と話していて、唐突な展開に「えっ? えっ?、どういうこと?」と、読み手は置いてきぼりになってしまいます。

매일 요동치는 마음
속엔 가라앉은 아픔들만
그럼에도 숨을 뱉는 너와 난
저 바다를 향해 가는데

毎日 揺れ動く 心
心の中には 沈んだ 痛みたちだけ
それにもかかわらず、息を 吐き出す 君と僕は
あの 海に 向かって 行くけれど

ここでの「息を吐き出す 숨을 뱉는」は、前後の文脈から「ため息をつく」ようなものかなと捉えました。ということは、沈んだ痛みがいつまでたっても消えないのでため息をつき、僕らは海へ向かったということでしょうか? でも、”あの海”って一体どこなんでしょう…?

ここからは、考察を広げてみます。

「Can't You See Me」MVでは、『Run Away』にて教室でヨンジュンが本を燃やしてしまったシーンを、日記で振り返るところから始まっていました。なんだか大きなヒントがありそうなので Run Away を見直してみます。

『Run Away』で燃えた扉と、ヨンジュンが残した人形のナゾ

① MVのなかでは後半、5人がプールの奥深くにある世界へと入っていき、燃えさかる巨大な扉を見つめているうち、ヨンジュンの指にあった切り傷がいつの間にか消えていました。

*このシーンは、ストレスを心のプールに投げ込み、5人が一緒に過ごしたことで、いつの間にかストレスの大部分が解消していたことを表していたのでは。扉は、ここではストレスや痛みの象徴でしょう。とても大きな扉だったことから、5人分の心の傷かもしれません。けれどいつまでも燃え続けていたことから、まだ解消されない心の傷が残っていたとも考えられます。

② 踏ん切りのついた4人がその場を離れても、テヒョンは彼らを気にしながら炎を見つめたまま。テヒョンらしく、どうして燃え尽きないのか疑問を感じていたのかもしれませんね。そして、ヨンジュンが落としていった小さなテディベアのような人形を見つけて拾うところで、MVは終わっています。

*この人形はMV冒頭、ヨンジュンの机の上に置かれていたもので、この時は色も白く、ツノと、胸にある赤いハートぐらいしか目えていませんでした。けれどテヒョンが拾った頃には茶色にうす汚れてボロボロになっています。

③ 人形は「THE DREAM CHAPTER: ETERNITY」コンセプトティーザーに再度登場し、フランス語で”これは人形じゃない”と書かれていました。

頭にツノ、大きな耳、バツ印のついた片目、肩の突起、胸に赤いハートがついていることから、人形は5人が抱えていた痛みであり、彼らが隠したかったコンプレックスを象徴していたものだとわかります。

*さらに。この曲の歌詞の最初、「角立った石を投げるのが大好きだ 모난 돌 던지기를 사랑해」の”角立った”とは、イライラしたり落ち込んだ感情や、それが石となって水面に飛び跳ねる様子を例えただけでなく、ツノが立っている=消えないコンプレックスのことも表していたのだと、気づかされます。

ネバーランドに別れを告げた訳

① 彼らは、プールで傷がある程度解消した(燃やされた)体験から、5人でまた集まれば傷なんて消えると思い、スビンの家に集まったのでは。けれどトマトを投げても、炎は激しく燃え盛るけれど、家中トマトが飛び散り、痛みが床を埋め尽くしただけで、傷は癒えなかった、ということしょう。

② そこで恋に救いを求めてみたものの上手くはいかず、ふとした誘惑からネバーランドへと足を踏み入れるはめに。しばらくの間は辛かった傷の痛みなんて忘れて、5人は夢のような時間を過ごします。ところが、ここでも彼らの本当の願いを叶えることはできなかったと気づいたのでしょう。

*彼らの本当の願いとは、FREEFALL でのこれまでの曲から、痛みに向き合うこと=コンプレックスがあってもありのままの自分を受け入れ愛することや、憧れていた夢に向き合うことだったのだとわかります。『Sugar Rush Ride (Japanese Ver.)』のMV最後で、手や顔に負ったヨンジュンの傷が消えていなかったこと、「FREEFALL」のコンセプトGRAVITY でも、ヘルメットで覆い隠した5人の顔にはそれぞれ傷がついていることが、それをほのめかしているように思えます。

② 願いは叶わない。そんな楽園のウソに気づいた彼らは、ため息をつき、意を決してネバーランドに分かれを告げようと海辺へ向かっていったというのが真相ではないでしょうか。『Sugar Rush Ride』のMV最後のシーンでは、5人が海に向かって歩いていますね。

そう、あの海とは、ネバーランドの海のこと。後ろ髪ひかれる思いで振り返っていたヒュニンカイの姿が、歌詞の ”胸いっぱいにこみあげる今日の君” に重なります。

続く、 ”明日の僕が抱きしめられるように” とは、そんな君に、大丈夫と言ってあげられるように、たくさん話しを聞いてあげられるように。そんな意味をこめて言ったんじゃないかなぁと想像します。

この辺りは、『Back for More (TXT Ver.)』で再解釈した「僕たちお互い、少しつまづいてただけさ。~だから大丈夫」や、『Dreamer』の「君に話したいことがたくさんあるんだ」などの歌詞にも繋がっていく気がします。

彼らはこの時、友達が、自分の痛みをわかって欲しいからそばにいてほしい存在というだけでなく、絆や信頼によってお互いを理解しあい、支え合うことによって、時に魔法のような瞬間が生まれると、ようやく確信したのではないでしょうか。

”あの海”が意味するもの

また、ここでのあの海、ネバーランドの海とは、海辺が海(水)と砂浜(大地)に分かれること、歌詞に今日の君、明日の僕とあることから、無意識と意識過去と現在、夢と現実の境界のようなものを指しているのだろうと思います。

映画『アリス・イン・ワンダーランド/時間の旅』(鏡の国のアリスをアレンジしたストーリー)でも、天地に分かれて荒れ狂う大海原の中を、アリスがタイムマシン「クロノスフィア」に乗って時間の旅へと出発しています。

歌詞の後半、”波の上にたどり着いたら、ふるえる両手を握ってあげるから”と言っているのは、夢は夢でもネバーランドという幻想にはまってしまった彼らが、現実の世界へと戻る境界線を超えるには、荒波の航海に旅立つような覚悟と決意が必要だったのでしょう。

意外な映画からのオマージュ

さて。ここまで、①「Can't You See ME? 」のトマト投げや、歌詞の”君の湖を埋めていく”の意味、②「Run Away」 でのプールでの出来事とヨンジュンの傷が消えた理由、③ボロボロの人形が象徴していたものや、歌詞で”角立った石”と表現された訳、さらに④「Farewell Neverland」 での楽園のウソとは何だったのかが明らかになりました。

夢追い人のふたりを描いた『ラ・ラ・ランド』

ここで、タイトルの”水切り”にも注目してみましょう。このキーワードが生まれたのは、おそらく映画『ラ・ラ・ランド』(2016) からではないかと。

ストーリーは、女優を夢見るミアと自分のジャズクラブを持つという夢を持ったセブが出会って恋をし、ともにチャンスをつかもうと奮闘するというものでした。

この、「ラ・ラ・ランド(LA LA LAND)」とは、ロサンゼルスを指す”LA”がスペイン語の「天使たち」の意味であることから、夢見がち空想にふけるなどの意味でも使われる言葉。デイミアン・チャゼル監督は「夢を見るのは素敵なこと」の想いをこめて映画に名付けたそうです。

今回のアルバム収録曲『Dreamer』をはじめ、『Happily Ever After』で歌う「la la la、la la la~♪ 」にも、メッセージがこめられていそうですね。

エマ・ワトソンの独唱『オーディション』

では「ラ・ラ・ランド」が『물수제비(Skipping Stones)』のモチーフだという理由は何か。それは映画の後半、オーディションに臨むミアが語る「独唱」の内容から明らかになります。

↓以下は主演のエマ・ストーンが歌うミアの独唱、まずは前半部分です。

たとえ愚かに見えても~心の痛みにどうか乾杯を」のフレーズはどこか、「물수제비ムルスジェビ(Skipping Stones)」のメッセージとも重なる気がしませんか。

そして、肝心な独唱の後半(抜粋)も見てみましょう。

おばは私に教えた
明日は誰にもわからない
だから夢追い人が必要だと
反逆者たちよ
さざなみを立てる小石よ
画家よ、詩人たちよ
そして乾杯を 夢見る愚か者に
イカれてると見えても、どうか乾杯を
破れた心に どうか乾杯を
厄介な私たちに

映画『ラ・ラ・ランド』より

そうなんです。モチーフになる言葉がしっかり入っていたのです。
そしてこの独唱や、先ほどの監督が思いを込めた映画のテーマは、トゥバの物語全体が伝えるメッセージにも連なっていくように思えます。

独唱の前半には、”無限の空と絵を輝かす夕日に” なんてフレーズも織り込まれていました。

『Blue Hour』のMVで黄昏の空にヨンジュンの描いた絵が浮かぶシーン。あのシーンもおそらく「ラ・ラ・ランド」へのオマージュだったのでは。

ちなみに「無限の空と絵を輝かす夕日に」のフレーズは、「オーディション」の独唱ムービーでは天文台のプラネタリウムのシーンで歌われています。アルバム『ETERNITY』のコンセプトフォト「STARBOARD」で表現されたガラスドームにも、どこか重なっていくような気がしませんか。

*****☆**

「ラ・ラ・ランド」も、トゥバの物語全体のモチーフのひとつであったことがわかりました。ここでもうひとつ、ある事実に気づかされるのですが、皆さん、もうわかりましたか? 

これについては、考察記事として後日また改めてまとめます。

最後に、この曲を手掛けたハンロロさんご自身によるカバーをご紹介して記事を終わりにしたいと思います。

またしても思いがけず長文となってしまいましたが、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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