勉強嫌いは本心とは違う

※書き出しが以前の状態です。


包装に張り付いていたセロテープをくしゃくしゃにした球を、猫が突いておりました。
粘着質なのと匂いがダメなのか、前足が連続で空振りしてます。
嫌なんだけど本能には抗えないようです。
イライラしているからか、念入りに爪研ぎをしてらっしゃるようです。

そして怒涛のやけ食いを始めました。


——猫嵐が猛威を振るう——

Aoと申します。今見たらまた突いてました。
懲りないねあなた。...



...現在に戻ってきましたよ。
君らは選り好みしていいのに。

嵐で先が見えなくなるのは我々だけで結構です。
あなた方は室内で雲行きを怪しくしないでください。
かわいいからいいんですけど。

そんなこんなで本題です。
見てもらった通り、勉強に関することです。
毎度毎度薄い内容ではございますが。


——高確率で起こる勉強嫌い——

日本ですくすくと育つ中で、避けて通さない存在が「勉強」ではないでしょうか。
通れないじゃない。
「通さない存在」な気がします。

小学校に入ってから身近なものとなりますが、皆さんの印象って多分良くないですよね。
面倒くさい、やりたくないが先行していることでしょう。
中学に進んでからやたら難しく、しんどくなるイメージなのですがどうでしょう。

私の小学校時代はクラスメート全員が割と手を挙げていました。
テストのプレッシャーがほぼなかったのでね。
みんな気楽だったのでしょう。

ところが中学に上がると、途端に授業の難易度がUpします。
平均点や順位を明確に表示し出すのもこの頃かと思います。
みんなやる気をなくすのがこの辺りです。

時が過ぎ、大人になっても勉強嫌いを引き摺る人は結構多いです。
正直なところ、私の周りで勉強が好きと言った人はいません。
子供の頃は授業がだるい、先生の不満をぶちまける、大人になると勉強なんて意味ないと言いだす始末です。

ここで考えないといけないことは、最初から嫌いでは無かった、ということです。


——実際はそうでもないのでは——

中学生の時の話なのですが、とある英語の授業でテスト返し&解説がありました。
私の席の隣には、いわゆる不良かぶれ(適切な表現が見つからない...)の、学年内ではカーストの上にいる同級生が座っていました。

勉強なんてやる気がなく、テストの成績も散々。
後で答案用紙をクシャクシャにして机の中に押し込んじゃうようなタイプの人です。

授業では担当教員が前で解説をしている中、私は何を思ったのか、個別でその同級生に解説をしたんです。
特に理由があったわけではありません。
全体よりもスピードは遅かったものの、悶々と解説をしたんです。

そのお隣さんは、ちゃんと私の解説を聞いてくれたのです。

真面目な姿勢で受けている姿は見たことがありません。
目線の先は、本人の答案用紙から外れることはありませんでした。
普段から私との交流は大してありませんし、私自身は慕われるような存在ではありません。
考えられることは、丁寧にわかりやすくを意識して教えていたことくらいです。

しばらくして、教員は私たち2人をみて
「何をやっているの。今解説しているのだから、ちゃんと聞きなさい。」
と注意をしてきました。

なぜ注意をしてきたのか。
私は疑問を抱きます。
だってお隣さんはちゃんと向き合っているじゃないですか。
授業の目的が知識を身に付けさせることなのであれば、特に問題はないはずです。


——嫌いにさせられた——

私の経験則からなので、これが正しい見解なのかはわかりませんが、そこで感じたことを綴らせていただきます。


自分一人で勉強できちゃう人はそうそういません。
渡された教材だけでは理解か難しい人にとっては、サポートするための教員が必要です。
その人の伝え方が良くないと、その場にいる意味がありません。
手放しで「ほら、やりなよ」と言っているのと同じです。

勉強が嫌いになり、投げ出してしまう原因は、その授業にあるのではないでしょうか。
知識を身につけるためにはある種の協力が必要なのに、その協力が機能していないのです。
よもや、教えていないのと同義です。

本来は、知ることの喜びを感じていたはずです。
小学校の時なんて、触れたことのない分野を知ることにワクワクしてましたよね。

中学からの約10年間で、どう足掻いても習得できない環境に晒され続けます。
本気になって取り組める環境がお預けになるんです。
サポートが期待できないのだから。

いつしか、
まともに解読ができない

やったところで成果が出ない

やっても意味がない

といったプロセスを経て、勉強が嫌いになるのではないでしょうか。
嫌いな理由に「やってもよくわからないから」が多いのは、このためなんだろうなと思います。


——ここからイメージは変わった——

学校の勉強は意味ないよって言う人、それなりにいますよね。
ある意味では正しいのかなと思っています。

教育の基盤がしっかりしていないですからね。
身に付けさせる環境が揃ってない以上、他の場所で頑張るしかないでしょう。
そうやって輝く人は一握りだと思いますが。

日本人は「知らない」と「嫌い」の感情が似ているといった話を聞いたことがありますが、勉強嫌いから形成されたんじゃないかなぁと思っています。
知ろうとしないから、行動も控えめになり、じっとしちゃう人が多いような気がします。

流石に今の情勢では、あちこちで歩くことは好ましくありませんが、アクションを起こせるようにならないと移り行く時代においていかれそうです。
進んで取り組める、もしくは、ちゃんとしたサポートのある環境を、学校は用意しないといけません。
ほとんどの人間が通る道ならば、現状のままではアウトでしょう。

勉強に不真面目な人たちは、進んでそうなったわけじゃない。
きつい言い方をすると、彼らは被害を受けた人たちなんだと。

勉強めんどくせえと愚痴をこぼす人に対面したときは、そう感じるようになりました。


——学びって本当は楽しい——

知る喜びはちゃんと存在します。
解けた時の達成感は、誰しも知っているはずです。

学びだけは忘れてはいけない。

全てにおいて適用するかは分かりませんが、勉強にやる気を出せない人に伝えたいです。
身近にそんな人がいる場合は、学びの楽しさ、大切さを忘れていることが大半だと思いますので、ガミガミ言わず付き添ってあげてください。



とりあえず私は、引き延ばしすぎないようにしないと。
これくらいの長さの文章をさっさと作れるように頑張らないといけませんね。
時間かけ過ぎました。


それではまた、

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