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デトックスと記憶のスキマで思う

いつも立春前の1月末は、
とてもとてもとてもとても眠たくなって、
どうしようもないくらいに眠たくて、
きっと春のデトックスなんだろうと思って、
ここ数年つきあってきたけれども、

1月後半が誕生日のわたしは、
きっと、新しいめぐりが始まる前の、
何かしらの作用もあるのかもしれない、と
からだの不思議と、
からだの素直さに感心している。

そして、そんなとき、
なにかを生み出すエネルギーが少し足りなくて、
でもあれやこれや事務的なしごとはたくさんあって、

そんな、
あたまもからだもへとへとなときに、

演劇を見てきた。

その日の朝まで、行くのを見合わせようかと思っていたけれど、
家を出るのに間に合う時間の、ぎっりぎりになって、
このぎりぎりに気づいたから、行ってみよう、と腰を上げた。

そうしたら、
演者のひとりひとりの個性が、
そのまま今ここに生きている、という現実を写し出していて、
それにすごく感動して、
素晴らしくて、
予想以上に涙して、
あたまの奥が痛くなってしまったけれども、

終演後、足早に会場の外に出たら、
それはそれは爽やかで美しい夕暮れのまちで、
どこまでも歩いていけそうなくらいな、
なにか軽やかさがそこにはあって、

もう、今日という日が素晴らしすぎて、
なんだかまた泣けてきそうだった。

帰りの電車の中で、
わたしが高校生のときに、
演劇の選択授業で、小さな舞台に初めて立ったときに感じた、
「何者でもないわたしであること」という感覚を
25年ぶりくらいに思い出し、
その感覚を自分が体感として覚えていることに驚いたけれども、
素敵な記憶と感覚を思い出せて、
「それでいいんだ」
「わたしはわたしでいいんだ」
「わたしは何にでもなれるんだ」と
満ち足りた気持ちになった。

一生に一度の舞台となったけれども。

どんなことがあったって、
どんな毎日だったって、
どんな悩みや葛藤があったって、
どんな喜び溢れる日々であったって、

それでもわたしはいま生きている。

空も光も満ち足りている。

そんな立春前のできごと。
さあ、そろそろまた動き出そう♪





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