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たかはたあきこ

1979年1月18日生まれ。山羊座。

5才くらいの時、横断歩道を渡っていたら、車にはねられる。
頭を打って痛かったのだけれども、動揺激しい母と、
とんちんかんな質問をたくさんする看護師さんを前に、
頭が痛いと言ったら大変なことになると思って言えなかった。
そんな少し冷めた外からの視点を持つ子どもらしくない子ども時代を過ごす。

母方のおばあちゃんは第六感が敏感なひとだった。
手相や人相にも詳しくて、昔ながらの智慧を携えていた。
そんなおばあちゃんが大好きだった。

そんな血を引く母は、見えない世界のことが好きで、
わたしも少なからず、
「見えない世界は存在する」
「見えないけれども守られている」
というその影響を受けて育つ。

中学2年のとき、日々の学校のいろいろなことが納得いかなくなって、
友だちともどうつきあっていいのか、ぼやーんとして、
学校はきらいではなかったけれども、
親にうまく思いを伝えられなくて、聞いてもらえなくて、
気づいたら学区外に転校することになった。

思春期の頃は、いつも暮れる空に輝く金星や、
真夜中の星空や、明けの明星を見ていた。

高校3年のとき、自分を探しに、自分を試しに、
1年間アメリカに留学させてもらった。
結果。言葉を話せても、話す中身が自分にないことに気づいた。
衝撃。

20才のとき、母よりも母のようなひととの出会いがあり、
そのひとに導かれるように、
ネイティブアメリカンの文化に触れるきっかけとなるひとと繋がる。
そして気づいたら、ラコタ族の居留地(サウスダコタ州)を訪れる、
名もない決まったスケジュールもないツアーに一緒に参加していた。
なぜ自分がそこにいるのか、が、そのときは全くわからなかった。
気づいたらそこにいた。本当に。
直前まで、精神を病むような状態で仕事をしていて、退職したばかりだった。
1週間くらいのツアーだったと思うけれども、
終始あたまがぼーっとしていて、あまりよく覚えていない。
2003年の夏だった。
子宮回帰とも表現される生まれ変わりの儀式、スウェットロッジセレモニーに初めて参加した。
真っ暗闇で、高温サウナのような状態で、低い天井を見上げると、
一面満点の星空で、たくさんの何かが舞っていた。
横を見ると、あたまにフェザーのついた飾りをつけたネイティブアメリカンのシルエットのひと。
すべてが非現実的で、見えているもの、感じるものが、何なのかを考える思考力はなかった。
そのとき何を祈ったのかも、覚えていない。

どこまでも続く平原で、寒暖差がものすごく激しくて、
日が暮れて寒くなって、ふと空にうごめく大きなものが出て、
よくよく見るとオーロラが空を舞っていた。

遅い夕暮れから寝袋を持って外へ出て、平原でごろんとして、
空が赤く赤く暮れていき、群青から星が瞬き始めて、
ずっとまどろみの中、朝焼けで目が覚めた。

もう何が何だかわからないことだらけだった。
とんでもなく強烈だった、ということだけは残った。

そのあと2003年12月から丸2年。
東南アジアのラオスという国の田舎町で暮らした。
帰国したら、もう1回、ラコタの地に行かなければならない、
ということだけはわかっていた。決めていた。

ラオスは小乗仏教の国だけれども、多民族でまだまだ精霊信仰も残っていて、
人びとの中に、あたりまえに大自然に対する畏敬の念があり、
抗わず、受け入れること、信じている目に見えない世界のことがたくさんあった。
それは、目に見えていないけれども、もう見えているような、そんな世界だった。
わたしは日本で気づかなかった、気にも留めることがなかった暮らしのことや、
自然との関わり方やリズムを、日々の中でたくさん気づき直すことができた。
目に見えないものが、本当にたくさんそこには溢れていた。
叡智があった。

2006年春。
決めていたとおり、ラコタの地(サウスダコタ州)を再訪した。
何をしてどうだったかは、やっぱりあまりよく覚えていない…けれど、
懐かしい気持ちになった。
再訪した懐かしさではなく、魂が懐かしいと言った。
ものや情報が何もないラオスで過ごした2年間が、
わたしの感覚をもとに戻して、開いたのかもしれない。

2度目の旅で、唯一鮮明な記憶として残っているのが、
昼夜がないような旅の行程の中で、あまりに長く長くつづく道を車で走っていたとき。
意識が半分以上「ここ」でなくなっていたのかもしれない。
太陽の光はぱきんとしていて、
右を見ても、左を見ても、ピンクや黄色や黄土色の層になっている小高い山々で、
ずっとずっとつづいていて、
見たこともない不思議さで美しくて、信じがたかった。
「ここは宇宙かもしれない」と思った。
夢を見ているのかもしれない、とハンドルを握りながら、
その宇宙のような光景の中をひたすらに走り続けた。

その後、結婚するまでの数年。
日本でネイティブアメリカンの教えをもとにした学びや儀式を通して、
さらなるあれこれ深みを体験することになる。
自らのビジョンを求める儀式(ビジョンクエスト)では、
置き去りに生きてきてしまった、「わたし」というものに出会うことにもなった。
そのときに見た数々のビジョンの意味は、いままだわからないものもある。

どんなときもあたたかく寄り添い、話を聞いてくれた、
母よりも母のようだったひとは、先に逝ってしまった。

結婚して、我が家にやってきてくれた娘は、
とても感受性が豊かで、見えない美しいものが見えて、
それがリアルな存在だと知っていて、
知りたいことは見えない世界のことばかりな不思議でまっすぐな子に育っている。

わたしのことを20才のときから見ていた、とよく言う。
本当なんだと思う。
わたしの自分探しもまだ途上だけれども、旅はまだまだ続いていく。。。

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そのひとがそのひとである喜びを
そのひと自身が魂から感じることができること。
わたしがパイプとなってお手伝いできることが
わたしの何よりの喜び。

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