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なまえになっていく

娘が自分の内なる存在のなまえを
「ここ」と名づけた。
いつものように、さらりと。

大切にしている犬のぬいぐるみが
「ここあ」だから、
内なる存在、内なる子は
「ここ」だそうだ。

ここ、って、
いまここ、の「ここ」とリンクして、
わたしはちょっとぞくっとした。

最近わたしが特に意識していること。
瞬間。
いまここ。

わたしのなまえ。
「あきこ」
スペイン語で「aqui」(アキー)は
「ここ」という意味。

わたしのなまえも、
「ここのこ」なんだな。
と、20年以上前に学んだスペイン語を
ふと思い出して、驚いた。

ずっと自分のなまえ、
好きではなかったけれども。

いまこの瞬間、ここを生きる。

わたしは、娘のことを
小さなときから、
できるだけニックネームではなくて、
短くしないで、
なまえで呼ぶようにしている。

思いを込めて命名したから
娘がそのなまえになっていくように。

わたしが意図したようになる、のではなくて、
その音からつながり受ける宇宙からのサポートだったり、
日本ならではの、漢字に込められている意味だったり、
そのなまえになっていく、
その過程をただただ日々、
数えきれないくらい、
娘のこと・存在を意図して呼ぶ響きで、
なまえがちからを受け取る、積み重ね。
その子がなまえになる、積み重ね。



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