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9才から学ぶ「わたしがわたしとつながる瞬間」

2020年。
この先ずっとずっと、
わたしのこのからだを離れたあとも、
なん百年も、
「この年が歴史の転換期だった」と、
語り継がれる年なのだと思う。

そんな時代に生きることを決めてきた子どもたち。
生まれながらにして、
魂との繋がり方がどうにも違う。

最近耳にした話だと、
今小学生くらいの子たちは、
どうやら地球を守るために生まれたきたらしい。
今あかちゃん~幼児期の子たちは、
どうやら宇宙を守るために生まれてきたらしい。

すでにスケールが違う…!!

そんな部類に属する我が娘9才。
3年生の3学期に突然の休校。
そこから3ヶ月間の自宅学習。

クラス替えもなければ、
担任の先生も変わらないけれど、
学年はひとつ上に。

毎年度、学年末にいただく
担任の先生が作ってくださる
ひとりひとりの詩。

新年度からいつも唱える「自分の詩」も
あっという間に覚えて、
毎日何度も唱えていても

ふとしたときに口から出る言葉は
「まだ3年生が終わってない…」

6月になって、
ようやく分散登校で学校が始まって、
待ち焦がれた学校、担任の先生、クラスメイト。

4年生の学びも始まって、
短い1学期が終わり、
短い夏休みがあっという間に過ぎて、
腰を据えて始まった2学期。

それでもなお、
「4年生な気がしない…」

もうこればかりは、
どうしてあげることもできない。
ただ聞いて、その気持ちを受け止めてあげることしか。

そんな流れの中で迎えた、
4年生の半分以上が過ぎた10月。
昨年3年生の学びで、
校庭にみんなで建てた家を、解体することになった。
たくさんの仕事と気持ちを傾けて
大地の上に建てた家。
覆いとなる壁と屋根。
風通しが良くて、光が差し込む窓。

春夏を過ぎて、誰もがぐんっと背が伸びて、
手足もするっと長くなって、
顔がすーっとしてきた。

よく動く手足で、家を解体していった。

その日の放課後、
以前からずっと「習いたい」と言っていた、
ライアーという楽器の体験レッスンに行った。
ようやくようやく迎えた今日という日。
ずっとずっと待っていたこの日。

学校という覆いから一歩外へ出て、
9才の娘が、自分の意志で「決めた」こと。

ライアーの響きは、
同室で見学していたわたしのからだの中に、
響きそのものが入ってきて、
からだが音の振動で満たされて、震えて、
言葉にならないものが余韻として残った。

きっと楽器をずっと抱いていた娘は、
わたしよりも多くの何かを受け取ったのだと思う。

その夜。
いつも突然やってくる
「それ」がやってきた。
もう寝る直前。
意識は、半分以上夢の国。

「わたし、4年生になれた」
「これまではずっと4年生な気分じゃなかったんだけど。
 今日、なんか4年生になれた」
「なんでかわからないけれど」

わたしは、驚きと感動で、
「そう…よかったね…」と、
ありきたりな言葉しか出てこなかった。

何かと何かと何か、
たくさんの何かが重なりあって、
彼女の中で、ぴたりとはまったのだと思う。
今日、「わたし」というのと「4年生」というのが、
真ん中で一致したのだと思う。

それを思ったら、
もう、
この瞬間がすごい愛おしくて、
素晴らしくて、
それをしっかりと掴んでいる娘に、
改めて畏敬の念を覚えた。

ひとはみんな本来、そうあるのだと思う。
自分が自分としっかりとつながる状態。
わたし(肉体・現実)がわたし(魂)と一致すること。

そこが、何かのきっかけでずれてしまったときに
違和感を感じる。

なんとか、もとに戻ろうと模索する。
それは自分のちからで何とかなることもあるだろうし。
外からの何かをきっかけとして、戻れることもあるのだと思う。
1+1=2とか
2-2=0とかみたいに、
わかりやすくて単純明快ではないかもしれない。
でも、「わたし」は知っているのだと思う。
いつでも「わたし」が「わたし」とつながり、
「わたし」で在る状態を。




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