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ひとは眠るとどこへ行くのか

我が娘は、
小さなころから、
夜寝るとき、

絵本を読み終えると、
本を閉じて、
布団をかけ直して、
「おやすみ。またあした。」
と言って、目を閉じる。

とてもあっさりと。
「じゃあ!」みたいなかんじで。


初めて、この光景に出くわしたときには、
たしかまだ4-5才くらいだったと思うけれども、
心底びっくりして、
心の中で、

「え!!どこに行くの???」

「明日まで、会えないの???」

と、
わたしの方が「夜という見えない時間」と、
「眠りの国(夢の国)」という、

もう本人にしか立ち入れない場所へ送り出したあとの、
取り残されたような感情に動揺した。

肌が触れ合うくらいのすぐ隣に寝ているのに、
また明日まで会えない。
そんな不思議。

娘は確かに、
眠っている間に「夢の国」に行っていて、
本人はそこを「天使さんの学校」と表現しているけれども、
いろいろ学んでいるらしい(本人談)。

新しいこともあれば、
こっちの世界で学んだことの復習もあるみたい。

数年前に、
「眠っているとき、ひとは惑星に帰っている」
という話を、
アントロポゾフィーの講演会で聴いて、
なんだかとても納得した。
なるほど、と。

惑星には、
それぞれ担っている役割・管轄があって、
どこまでたどり着けるかによって、
得てくるものが異なるらしい。


そういえば、
むかし、
アメリカでホームステイをして生活していたとき。


夜寝るときは、

「Good night!
 See you tomorrow!!」

「おやすみ。
 また明日!」

それが、日常的なあいさつだった。
異文化の中にいたとはいえ、
やっぱり、
その表現に慣れるまでは、
なんだか違和感があった。

夜通し、同じ屋根の下にいるのになぁ…と。

今になって考えてみると、
アメリカのひとたち、
つまりは、
そのむかしヨーロッパからやってきたひとたちは、
何千年も前から、
そんなあいさつをしていたのかもしれない。
(ちなみに、お世話になっていたホストファミリーは、
 オランダからの移民で、ママの両親はドイツ人だった)

先人たちは、今よりももっと、
たくさんのことを感じて、
たくさんのことを知っていたのかもしれない。

眠りにつく、とは、
いまここではないところに行くこと。
しかも、ひとりで。
じゃあね、また明日会おうねって。

何かを得て、整理して、調和して、
癒されて帰ってくる。
眠るって大事だね。





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