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、無題、そして降るように言葉は



 失くしてしまったものを思い浮かべるとき、記憶との距離が明らかに遠くなってしまっていることに気づいた。あの頃の私にとっての未来がここで間違いないよと教えてくれる人はもうどこにもいない。だけど、どう考えたって私が自分で選んできた道に間違いはなく、あれほど長く長く暗い世界を生きていたにも関わらず、いつまでも同じ場所でいつづけることができない人間であることを思い知らされるのだった。

 真っ暗な部屋で泣き続けて眠れなくて、カーテンの隙間から漏れる光が天井を照らしているのを眺めていた夜があった。その光は瞬きをするように明滅していて、私の眠気を誘発させようとゆっくり重く、うつらうつらと光っていた。月の瞬きを見つめているうちに涙が引いたのでいつまでもそこでいてほしいと願ったけれど、次第に光の見える感覚は短くなり、そのうちに開かれることはなくなって、月は完全に眠ってしまった。部屋が完全に闇と一体化してしまって、私は小さく絶望したことを覚えている。どうしてひとりぼっちなのだろう。いつかちゃんと愛せる日が来るだろうか。優しさはどこまで本物なのだろう。死なないでほしい、いなくならないでほしい、私を置いていかないでほしい、傷つけてしまった言葉を取り返したい、傷つけられた言葉の価値を踏み躙ってやりたい、さまざまなことにわかりやすい理由が欲しい、あの日死んじゃったあなたの本当の理由がどこかに彫られてはいないだろうか、どうしてどこにもいないのか、傷の意味は、深さの根拠は、溺れた夜に見た夢の端っこにどうして君が泣いていたのか、願ったこと失ったことわからないこと悔やんだこと、さまざまなことが蘇っては暗闇を満たしていった。その夜の鮮明な暗さこそ覚えているけれど、月の光がどれほどの明るさだったのか、はっきりとは思い出せない。なんて愚かなのだろう。
あの頃の私には必要な時間だった、と今の私が思う。眠れない夜も、涙が塩辛くてたまらなかった夜も、それでも息をしていて生き延びてきたことも、ずっと助けられてきたことも、全部が必要だったのだと、今の私が思うだけで、あの頃の私にとっては苦しみそのものだった。

 より良い方へと向かいたいと願った、あの一回きりの強い気持ちが叶えられたのかはわからないけれど、今私は笑えていて、泣く回数も減って、苦しみで眠れない夜もなくなった。嘘、無くなった訳ではないけれど、苦しみ抜くことは無くなった。幸せはどんな姿で現れるかわからない。カーテンを嫋やかに膨らませる風が一体いつ吹いてくれるかわからないように。
 
 愛し方を間違えた私が愛し損ねたいくつかと誰かとあの時間を、取り戻せない代わりに、多分書いていくのだと思う。書き直すのではなくて、書き加えていくのかもしれないし、全く新しいものを書くのかもしれない。
 
 だけど結局、優しさに満ち溢れる君がどこにいても何に触れてもそこから愛されてくれますように、という願いだけが私を生かしていくような気もする。
 
 どうしたってままならず、未熟な私のまま。

 

 


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