見出し画像

並び運と座席運が終わってる男

僕って、並び運と座席運が終わってる男じゃないですか。

そもそも並び運と座席運ってなんのことを指してるんだっていう声も聞こえますけど、この言葉は僕が子どもの頃に作って、誰にも発表しないまま今に至るから誰も知るわけないじゃないですか。

今回はいい機会なので、一つ一つ説明しますね、いいですか。

「並び運がない」というのは、自分で「ここが早そうだな」と思って並んだ列が結局進むのが一番遅いということじゃないですか。
例えば、駅のホームで電車待ちをしているとき、左の列は6人いて、右の列は4人いるから、右側の4人の方にしようと思って並んでみると、結局左側の6人の列の方が全員早く乗車したっていうこと、誰にでも経験あるじゃないですか。

「座席運がない」というのは、これは座った席の隣の人がヤバい人であるパターンと、座ろうとしていた座席が全然空かないパターン、2パターンあるわけじゃないですか。
前者は、例えば飛行機のエコノミークラスで、自分の隣に座った人が120kgを超える巨漢で、自分のテリトリーにもグイグイはみ出してくるような展開を指してるわけじゃないですか。
後者は、例えば満席の電車で、「疲れてるから座りたいなあ」と思っているときに、次に降りそうな人を予想してその人の前に立ったはいいものの、予想が外れて目の前の人がなかなか降りずに結局自分は座れないまま目的地に着いてしまうようなことを指してるわけじゃないですか。

さて、並び運と座席運についてはわかってもらえたと思いますが、僕って、並び運と座席運が笑っちゃうぐらい無い男なんですね。

ここだ!と思って並んだ列は一番時間がかかり、「ここが空くだろう」とアタリをつけて座ろうとしていた席が全然空かない、席に座れても隣の人がヤバくて落ち着かない、それが僕っていう男じゃないですか。

僕としては、常にデータを収集して極めてロジカルに意思決定しているわけなんですね。

並びのほうで言うと、この列は一見早そうでも、子連れがいるからバタバタするぞ、あの人荷物が多いからモタつくぞとか、エスカレーターに近いからいっぱい人が降りてくるぞとか、今あるデータを集めてそこから予測を立てて、じゃあここは選ばない、とか決めてるわけなんですね。
僕は列を見たときに、「何人か」だけじゃなくて、「何グループか」「何世帯か」というところまで分析して、意思決定してるわけじゃないですか。

でもこれらのデータを駆使して予想した最適解、ほぼ毎回、外れるんですね。
不思議なぐらい、外れるんです。

自分の予想がほぼ毎回外れるなら、これを逆手にとって、本来選びたい方と逆の方にすればいいやと思ってそれを試してみると、今度は最初に選びたかった方が早かったりするわけで、ワケわかんなくなるじゃないですか。

じゃあもう何も考えずに「エイヤ」で決めるのが一番いいのかというと、これもこれでガンガン外れるじゃないですか。
何も考えないと、列の遅い早い以前に、そもそも全然違う列に並んでるなんてこともあるわけじゃないですか。
僕って海外旅行でも、適当に並んだ列が自分と関係のないツアーのお客さん達の列で、スタッフからつまみ出された経験もあったわけじゃないですか。

色々考えても、あるいは考えなくても、最後に残念な結果を引いてしまうのは、判断の根拠が間違っていたんじゃなくて、「運が無い」とか「そういう星の下に生まれついた」とかいう言葉じゃないと説明つかないわけじゃないですか。

ところで、座席運関連で一つ言いたいことがあるんですけど、座っている人が、次の駅につく直前に降りそうなそぶりを見せるの、あれやめてもらえませんかね?

次の駅につく1分前に読んでいた本を閉じてカバンに入れたら、それはもう「次の駅で降ります」と宣言しているのと同じで、目の前に突っ立っているこっちは「ようやく自分の番だ」と期待するじゃないですか。
期待を裏切られたとき、僕みたいな人間は膝から崩れ落ちそうになるじゃないですか。

僕はこの手の「次降ります的思わせぶり人間」にならないよう、自分が座っているときは周りの順番待ちの座席難民たちに期待させないように気をつけているわけじゃないですか。
駅に着く直前は微動だにせず、「僕はまだまだ降りませんからね。期待しないでもうしばらく踏ん張ってくださいね」と無言のメッセージを周りに向けて発しているわけじゃないですか。

ここまで書くと、僕が座りたくて仕方のない、あたかも忍耐力のない人間だと思われるじゃないですか。
仮にあなたがそう思ってなくても、現に僕は「あなたにそう思われてるかも」という強迫観念に駆られているわけじゃないですか。
常に座りたい人間と思われるのは心外なので説明しておくと、僕の座りたい欲って、「どうしようもなく疲れてるときは座りたい」程度のものじゃないですか。
だから、体力があるときとか自分の心が満たされてるときは、率先して立っておこうとする人間でもあるじゃないですか。

僕の心情としては、身体的ハンディがある人やどうしようもないぐらい疲弊している人の順番が優先される社会であったらいいなと思うわけなんですね。

で、いつかこんな世界になったらいいなと妄想していることがあるんですけど、ここで言ってもいいですか?言いますね。

スマホの電源みたいに、自分の残りの体力値のパーセンテージを体外に表示できる何かがあって、それを相互に見れるようになっていて、体力ゲージが0%に近い人の順番が優先される、こんな世界だったらいいなと思うんですよね。

自分が身体的あるいは精神的に参っているときには、誰だってそれ以上のストレスを抱えたくないじゃないですか。
どうしようもなく参っているように見える人が目の前にいたら、僕は手を差し伸べたいんですよね。
でもその一方で、目の前の人が参っているように見えても、その人が本人の体力のうちまだ50%しか使ってなくて、僕の体力が残り10%だったら、そのときは「悪いけど、僕に先に休ませてほしいな」と思ってしまうのも事実なわけじゃないですか。

後半はまとまりのない文章になりましたけど、というか書き出しから変な文章でしたけど、「この話、どうでもよくないですか?」と聞かれたら「どうでもいいかもしれません」と答えますし、「ふざけて書いてますか?」と聞かれて「真剣に書いてます」と答えたら嘘になりますけど、僕の思いやアイデアをnoteで発表できただけでスッキリしている僕が現にここにいるわけじゃないですか。

ここまで読んでくれた忍耐力のあるあなた。
並び運と座席運、あなたはある方ですか?
もしあるなら、行動をともにさせてもらえませんか?
僕は、あなたの運の恩恵にあずかりたいのです。


おわり

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?