ショーシャンクと、今日の話
今日は『ショーシャンクの空に』を見た。昼に起きて、ベッドでiPad傾けて寝っ転がりながら見てた。
痛々しい描写も多かったけど、割とすぐ世界観に入り込めて、ずっと何が起こるんだってワクワクして見れた。そして、こんなに言語化しずらさを感じたのは初めてかもってレベルで、感想を言語化しずらい。
主人公が、多くを語るタイプじゃないからかもしれない。多くを語らないっていうのが私はできなくて、何もない空っぽな人だと周りに思われたくないから言わなくても良いけど思い浮かんだことをぼそっと話すことが多い。だから、洗練された人柄というか、よく考えたことを言葉として発したり、一番大事なことは人に言わないでおいたり、そこがかっこよく見えた。
根性すげえって思うシーンが多かったけど、根性じゃ語れないくらいの大きなものを抱えて生きてるんだろうな。それがアンディの言う希望なんだろうけど、私には心の中で自分自身が自分自身のために作り上げた希望をそこまで大事にできない。信じていられない。
アンディは賢いけど、計画の全てが元から練られていたわけじゃなさそうだし、そのアイデア性とか柔軟性こそがまさに天才そのものだと思った。
あと、レッドの最後の取調室の言葉がとても好きだ。
とても好きな映画だった。これをここに書いて気づいたけど、夏休み始まってから作った作品鑑賞ノートなるものがあった。そっちに書けば良かった。ま、良いや。後で違うことでも殴り書こう。
映画を観た後、買い物に行った。ずっと欲しかったけど、買っていない漫画があって、Amazonを見たら在庫がなかったから、重版されなかったらもう一生手元に来ないと思うと急に欲しくなって蔦屋へ自転車で行った。あ、あとその前に奨学金の書類を出してきたりもした。
帰り道、手を繋いでる3人家族がいたから避けようと思って大きく曲がったら暗くて段差に気づかなくて盛大に転んだ。男の人が、「いひっいひっ」って笑いながら自転車起こしてくれた。いや、愛想笑いで善意でやってくれたのはわかるけど、その時お前らがいなかったら転ばなかったのにって小学生の時みたいな感情が沸々湧いてきて、でもそんなのもう顔に出し方も声に出し方もわからないから、当然言ったりはしないんだけど、、でも素直にありがとうって思えない自分がいた。流石にありがとうございますは言ったけど。イライラしてた。そして、その家族たちが一歩進み始めた瞬間1人でぼろぼろ泣いてた。
今日のことだけじゃないけど、幸せそうな人たちに善意だよって顔で助けられても、正直心の底から喜べない自分がいる。ひどいのはわかっている。
そして、漕ぎ出そうと思ったんだけどチェーンが外れてて、道の脇に行ってチェーンをはめた。体感30分くらいだったけど、実際は10分とかだったのかな。チェーンカバーみたいなのが付いてるから全然ハマらなくて、両手が油で真っ黒になった。膝も肩も痛いし、新しい服擦っちゃったし、もうなんか全部どうでもよくてそこでも泣いた。こういう時に自分のこと好きでいてくれる人(恋人とか)がいたら電話かけて助け求められるのになって思ったりした。けど多分一生いない。
というかそういう思考になるのは、呼び出せるような友達がここにいないからだ。でも別に地元にもいないかもしれない。私のために駆けつけてくれるような人は。悲しくなってきたけど、それでも、自分を好きな人もいない自分も自分を好きじゃない世界でも、生きていかなきゃいけないのって残酷だよね。っていつもより強く思った。
帰ってきたら真っ黒な手で郵便受け開けて、姉からの手紙が入ってて嬉しかった。それなかったら壊れてたのかしらってくらいに今虚無。転んだ時に感情が入り乱れすぎてた。
帰ってきたら膝擦りむいてたけど、小学生の時みたいに抉れてなくて安心した。
お腹すいたし、砂糖入れすぎた親子丼食べてきます。つかれた日だった。
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