猟犬のこれから〈◇ハウンド〉

▼お借りした方
ハートさん

※撤退済みキャラクターの存在を仄めかす描写があります


 感情、というものはよく分からない。食べることへの喜び(と言ってもいいのだろうか)は概ね理解できたと思うが、未だにその他の感情がよく分からない。ころころと七変化の如く表情が変わる者もいれば自分のように石みたく固い表情の者もいる。人間の感情の機微はポケモンのそれよりも更に細かく、意味が分からない。それが他人のものとなればそれが一層顕著なものとなる。涙を流すこと自体など未知以外に形容できるものが何もなくて。
 けれども目の前で見知った顔が今まで見たことないような表情で泣いているのを見ると、何か言葉をかけるべきなのかと少しだけ思考する。
「……俺は」
 嗚咽を上げることなく静かに肩を震わせるハートを見て、ハウンドは焼きそばを口に運ぼうとしていた手を止めてぽつりぽつりと語り始めた。
「便利屋とやらで働く。クゥラという女が一緒に働きながら定職先を探そうと誘ってきたから、とりあえずソイツについて回ってみる」
「クゥラさんと?」
「知っているのか?」
「よくお店に来てくれるの」
 聞けば自分の雇い主もハートの知り合いでドキストの常連だという。いやはや世間は狭いものだ、と思うことなくハウンドは「……そうか」と呟いて再び焼きそばを頬張り始めた。
「……お前は」
「え……?」
「お前はどうするんだ、これから」
 いや、これでは意図があまり通じないかもしれない。ハートがドキストの店員で居続けると思っていたが、ずっとそうとは限らない。もしかすると彼女もどこかへ旅立ってしまうかもしれない。再び夢を見つけて追いかけたり、それこそ旅立ったあの男を追って行ってしまうのだろうか……ふとそんな考えが過って小さく首を振る。考え過ぎだ。まだ彼女がどんな道を歩むかも聞いていないというのに。
 しかし、今はハートにかけてやる言葉が少ない知恵しか入っていない自分の頭では見つからない。
「……泣いていても俺にはどうにもできん。俺にはお前が泣いている理由すら分からない」
 そう、分からないのだ。ハートが何を思って涙を流すのか。何に対して流した涙なのか。泣き方も泣く理由すら理解できない猟犬には他者に寄り添えるだけの情緒もなく、時として傷つけるような言葉しか持ち合わせていないのだ。
「俺はお前と違って帰る場所も頼れる者も無い。だからクゥラからこれから生きる術を学ぶ。俺は、その道を選んだ。俺にも選べたからお前も選べる筈だ」
 ──ずっと、誰かの命令だけを聞き続けて生きてきたような気がする。記憶を全て失くしても、自分で何かを選ぶより他者に言われて行動することの方がずっと楽だったと思っていたからだ。
 けど、そんな自分の頭でも進める道が少ないことは理解できている。だから選択肢を広げる為に誰かの元で学び直すのだ。ダグジムのトレーナーだった経験に合わせて、これから得るであろう社会での経験を。
「……お前が弱い奴じゃないと俺は思っている。だから俺はダグシティを出てあちこち見て回る。でも、多分俺はお前の前からいなくなることはないと思う。……ドキストの弁当は美味いし安いからな」
 相変わらずの食べ物基準かと言いたげに、ボールから出されたウインディが離れた場所でポーチと戯れながら呆れ顔を浮かべているのが見えたが、特に気にすることもなかった。ダグシティを離れる機会が増えればウインディがポーチと遊んでやれる機会はもっと減る。何度も二匹が遊んでいる姿を見ているので、ダグシティに残るかと尋ねたら自分についていくという意思表示で頭を噛まれた。
 ハウンドも自身も、ウインディも、自分で考えて『これから』を決めた。旅立つ前にハートへ確認しようと考えたのは単なる思いつきか、ずっと胸の内に引っかかっていたことなのかは分からない。けどこれだけは聞いておきたい、確かめておきたい。
「……ハート、お前は決めたのか?」
 これからの自分の生き方を。そんな意味を込めて、ハウンドは狐面の奥からハートの目を見た。

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