命を偲び、生命を寿ぐ〈◇刀〉

幼少期交流が許されたので勢いのまま書きました。朝火さんが生まれたばかりの子刀時代の話

▼お借りした方
(子)昼凪さん
(赤子)朝火さん
夜右衛門さん


 その日は義父の七兵衛に連れられ習いたての三味線を手に、彼の昔馴染みである夜右衛門の屋敷へと遊びに行った。刀が七兵衛について行ったのは自分と同じく芸事を嗜む昼凪に会いたかったのが主な理由である。元々潜入任務の教育の一環として七兵衛の指示で習わされた三味線や琵琶だったが、拙い音でもそれに合わせて楽しげに舞ってくれる昼凪の存在は幼い刀にとっては芸事を続けたいと思えるきっかけとなった。その意欲が足繁く夜右衛門の屋敷へ通う理由でもある。
「おお、よぉ来はったなぁ。まぁ上がりや、羊羹あるで」
「ふぇふぇ、それじゃあ遠慮なく馳走になるとしようかのぅ」
 屋敷へ着くと早速夜右衛門に迎え入れられ、七兵衛はするりと玄関に入る。が、刀は扉の前でそわそわと三味線を抱くように下を向いてもじもじとしていた。
「あ、あの、夜右衛門殿……昼凪殿は……?」
「あの子なら庭で舞っとるで。あんさんが来たら喜ぶわぁ」
「ん、かたじけない。羊羹は後でいただきまする」
 夜右衛門に軽くぺこりとお辞儀をした後、刀は白い髪を揺らしながら家の壁を触り伝いながらとてとてと庭へと駆けて行く。刀の駆けて行った方を見ていた夜右衛門は髭を一度だけ撫で、目を細めて玄関に座って草履を脱ごうとする七兵衛を見やった。
「今日も元気やなぁ、あんさんとこの子は」
「あれでも大分持ち直した方だからねぇ。出会った頃なんてまるで死人と区別がつかんくらいに生気が無かったわい」
「よっぽど苦労しはったんやな、あんな小さいのに」
「……ま、ああして生きとるから大丈夫じゃろうて。今だけじゃよ、身綺麗でいられるのは」
「……あんさん、ホンマそういうとこ。人の悪さが出とるがな」
「忍に良いも悪いも無いじゃろうて。いつかは削られ使い潰される道具となる。じゃろう、やえちゃん」
「せやかてしちちゃん、素直に首を横に振れんちゅうんも、なかなか世知辛いもんやで」
 着物の袖に腕をしまいながらぼやく夜右衛門の横を、七兵衛は何食わぬ顔でするりと通り過ぎた。

「昼凪殿っ」
 手探りで壁を伝って庭へとやってきた刀は息を弾ませて名を呼ぶ。
「おやまあ、刀様じゃないか」
「えへへ、遊びにきたでござる」
 おおよその気配で目の前に立つ子供に歩み寄りながら、手に持っていた三味線を見せるように掲げた。
「腕前、また上がったので聞いてほしいでござる」
「あたいも踊りが上手くなったと思うから是非聞かせておくれ」
 昼凪の言葉に刀の表情はぱあっと明るくなる。その言葉が聞けただけでも嬉しい。足取りが自然と軽くなる。手を引かれて案内されるまま縁側に座り、弦に指を添えると先程まで吹いていた風がぴたりと止む。周囲の木々が二人の子供を見守るように静まり返り、ぱさり、と昼凪が扇子を開いた音が聞こえた。それが演奏開始の合図なのだろう。刀が一呼吸置き、静かに三味線を爪弾き始める。
 それは弱々しく降る小雨のように拙く、音に合わせて辿々しく紡がれる唄も緊張で喉が強張っているのか声が小さい。それでも昼凪は刀の奏でる稚拙な音に合わせて楽しげに舞う。まるで生まれたての赤子を優しく抱き、導く母や姉のように。目には見えずとも昼凪の動きは空気を伝って刀の肌を震わせる。それがとても心地良くて、楽しくて、三味線を弾く手が止まらない。次第に緊張も解れて朗々とした唄声が庭に響く。様々な音に刺激され、昼凪の舞も大胆にしなやかになっていく。言葉を必要としない時間を共有し、それぞれが得意とする芸が共鳴する。本当に、本当に、心の底から楽しいと感じる瞬間が堪らなく好きだった。弾き終わるのが惜しいくらいに。
「……ふぅ、楽しかったでござる」
「あたいもだよ」
「昼凪殿がいつも楽しそうに踊ってくれるから、某も楽しいでござる」
「あたいも刀様の三味線や琵琶の音が好きだから体が動いちまうのさ」
 思えば芸事を披露し合うのも挨拶代わりなのだろう。昼凪の言葉に刀ははにかむように微笑む。
「こうして三味線や琵琶を弾くのも良いでござるなぁ。ここ以外だとずっと剣術のお稽古ばかりでござるから」
「やることが沢山で大変だねぇ」
「ん〜、でも仕方ないでござる。某のお役目は──」
 裏切り者を斬ること。と言いかけて口を噤む。せっかくの楽しい気分を壊すようなことはなるべく言いたくないからだ。
「そうだ刀様、ちょいと上がっておくれよ。連れて行きたい場所があるんだ」
 刀の気持ちを知ってか知らずか、昼凪が話題を変えてくれる。驚かせぬようやんわりと刀の手を掴み、屋敷の中へ案内しようと中へ上がるよう促した。
「どこへ行くのでござるか?」
「ん、まぁ来れば分かるさ。さぁさぁ、上がった」
 昼凪に手を引かれるまま、三味線を置いて屋敷の中を歩いていく。何度か遊びに来ているが、夜右衛門の屋敷は広く、迷ってべそをかいてしまったことは一度や二度ではない。故に普段は夜右衛門や昼凪の近くにいてあまり動き回らないようにしているが、今回は昼凪が手を引いてくれるので安心して案内に身を任せられる。
 何度か道を曲がったりまっすぐ歩いたりした感覚の後、「ここだよ」という声で立ち止まる。
「この部屋に何があるのでござるか?」
 刀の問いに昼凪はふふんと笑う。
「刀様に会わせるのは初めてだからね。こっちだよ」
 また手を引かれ、部屋の中を少し進むと刀は何かの気配を感じた。小さな気配だった。犬か猫だろうか。にしては活発に動き回る様子はない。
「紹介するよ、あたいの弟さ」
「弟?」
「ああ、生まれてまだそんなに年月が経ってないから、あんまり外に出せないんだけどねぇ」
 昼凪に導かれるまま手を伸ばせば、揺籠に指先が当たる。両手で揺籠の大きさを確かめるように触れている内に、中からあうあうと赤子の声が聞こえてきた。
「わ……本当にいる……」
「そりゃそうさ、空っぽの揺籠とご対面なんて意地悪はしないさ」
「えと……触れても、いいのでござるか?」
「ああ勿論。ほら、ほっぺなんて餅みたいだよ」
 言われるまま、恐る恐る手を伸ばす。指先で体の位置を把握し、柔らかくて温かな部分に触れると驚いて手を引っ込めた。
「ははっ、そんなに怖がらなくても泣いたりしないさ。ほら、ここがほっぺだ」
 再び昼凪の手が刀の手を掴み、ゆっくりと赤子の頬まで導く。指先に感じた弾力は彼女の言った通り餅のような柔らかさで、それでいて温かい。触れられてくすぐったいのか、赤子はきゃっきゃっと声を上げた。生きている。不意に懐かしさを感じてきゅう、と胸が締め付けられた気持ちになる。
「あたたかい……」
 冷たくない。暗闇の中で感じた温もりのなんと温かなことか。
「手に指を置くと、握ってくれるよ」
 昼凪の手が移動して刀を赤子の手まで連れていく。丁度指が掌に触れると、赤子は反射的にそれをきゅっと握った。
「力、強いでござるな……」
「だろう? 赤子でもやっぱ男だからかねぇ」
「……」
「刀様?」
 赤子に見えぬ藍の目をじっと向けて俯く刀に、昼凪が首を傾げる。
「……あったかいなぁ」
 生きている、動いている。息をしている。冷たくない。温かい。それだけで、胸の内に込み上げてくるものが抑えられない。
「刀様、どうしたっていうんだい……!?」
「え……」
 ぽろ、ぽろ。一つ、また一つ、刀の見えぬ目から大粒の涙が零れ落ちるのを見た昼凪が目を見開いて声を上げる。刀は空いた方の手で頬を濡らす涙に触れ、初めて自分が泣いていることに気づいた。
「待っ……すまぬ…………なん、で……っ、なみだ、止まらな……っ」
 慌てて袖で拭うも、拭っても拭っても止めどなく涙が溢れてどうしようもない。同時に脳裏を駆け巡るのはまだ目に光が宿っていた頃の光景。長閑な農村、痩せた土地で懸命に芽を伸ばす作物、畑を耕す村人、手伝うと言ったら嬉しそうに笑ってくれた父と母の顔、覚束ない足取りで「ねぇちゃん、ねぇちゃん」と楽しそうに後ろをついて回る弟と妹の笑顔。どれも全て、喪った遠い日のような思い出。ずっと大切にしたかった宝物。記憶と感情が渦を巻いて押し寄せ、幼い心では堰き止めることすらままならない。ただただ大きな声を上げぬよう袖を噛んで嗚咽を漏らすことしかできない。
「ふっ……うぅ……っ、おっとぉ……おっかぁ……、熊児くまじぃ……寅男とらおぉ…………辰吉たつきちぃ……お兎音とねぇ……っ」
 何故、皆いなくなってしまったのだろう。何故、自分だけ生き残ってしまったのだろう。何故、この両目に広がる景色はずっと真っ暗闇なのだろう。何故、何故。誰に問うても返って来ない疑問を考えないようにして生きていこうと思っていても、胸の内の寂しさや虚しさはどうにも消えてくれなくて。
「ひる、凪、どの……っ」
「何だい、刀様……?」
「すまぬ…………すこし……だけ、手を、にぎって、くだされ……」
 涙でくしゃくしゃになった顔で懇願する刀に、昼凪が静かに両手を包み込むように手を握る。
「すまぬ……あり、がとう…………」
 拝むように頭を下げ、袴の上に涙を落としながら、刀は胸につかえていたものを吐き出すように泣きじゃくった。

「──申し訳ござらん。情けないところをお見せしたでござる」
 ひとしきり泣いた後、刀は昼凪に深々と土下座をした。
「顔をお上げよ刀様。何か悲しいことでも思い出したんだろう? 謝るようなことじゃないさ」
「うむ……その、この村に来る前のことを思い出してしまって……」
「そう言えば、お前様は外から来たんだったねぇ」
「うむ。少し、話させてほしいでござる。この話、数えるくらいの人にしか話しておらぬ故……」
 少し息を吸ってから刀は自分が村へと来た理由をぽつぽつと語り始める。元は百姓の子として小さな村で暮らしていたこと、優しい両親や守りたかった弟や妹がいたこと、その村が流行病で全滅したこと、その中でたった一人両目の光と引き換えに生き残ったこと、七兵衛と出会って生きる術を学ぶ為に忍となる決意をしたこと、そして昼凪の弟に触れた時に喪った家族を思い出して泣いてしまったこと。
 途中何度か再び涙が込み上げてきたのもあり、途切れ途切れになりながら自分の身の上を話す間も昼凪は黙って最後まで刀の話を聞いてくれた。
「もう過ぎたこと故、割り切らねばならぬことでござる。それでも、家族の温かみに触れると、やはり悲しい気持ちになるでござるな。だからと言って昼凪殿達が妬ましいとかそんなことは全然思っていないでござる。ちょっぴり羨ましくはあるでござるが……」
 小さく正座をしてもじもじと人差し指をくっつけたり離したりする刀は、赤くなった目尻を下げて笑う。
「某、強い剣士になったら死んだ弟や妹達の分まで昼凪殿や弟君のことを守りたいでござるよ。お稽古も、痛いことも怖いことも、その為なら我慢する。守りたい人が増えれば増える程、某も強くなりたいし頑張りたいと思えるでござる」
「刀様……」
「ああ、そういえば弟君の名をまだ聞いていなかったでござる」
「……そうだったね。あの子の名は朝火だよ」
「字は、どう書くのでござるか?」
 昼凪はそっと刀の手を取り、掌に指を滑らせていく。
「ふむ……昇る方の朝日ではなく、朝の火、と書くのでござるか……良い名でござるなぁ」
 刀は再び朝火の眠る揺籠へ顔を向け、探るようにそっと手を伸ばして赤子の髪に触れた。生まれたての赤子の髪は柔らかくてふわふわと気持ちいい、それでいてやはり温かい。幼心ながらも庇護欲が掻き立てられる。かつて自分を慕ってくれた弟妹達の顔を思い浮かべながら刀は柔らかく笑みを浮かべた。
「大きく、逞しく、強いおのこへ育つでござるよ、朝火殿。大きな怪我も病気もなく、健やかに育ちますように」
 かつて手のひらから零れ落ちた命を偲ぶと共に、目の前にある小さな生命に精一杯の寿ぎを贈る。願わくば無駄に傷つくことがないように、歩むその道がその名の通りに朝の光の如く多くの優しい火で満たされるように。
 昼凪の手を握ったまま朝火の頭をゆっくりと撫でながら、刀は固く誓う。自分も強くあらねば。守る為の力を手に入れなければ。そう強く思いながら、二人の前で涙を見せるのはこれっきりにしようと決めた。

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